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「すげー!」
沖と手前で色が違う。浜辺に近いところは明るい青だが、沖に近づくにつれて濃い青に変わる。打ち寄せる波は荒く、白い波頭をたてていた。通りを渡ると、浜辺に降りるには道路からはかなり段差があった。幅の広い階段が何段も続いている。
平日なので人はまばらだ。スマホがブブブ……と震える。誰だろうと思ったら雪だ。俺は階段に腰かけてLINEを見た。
『直、今夜時間ある? うちでイベントがあるんだけど』
『俺、いま海』
『おっ! 今日、休み?』
『うん、失恋旅行』
返事がないと思った途端、電話が鳴った。申し訳ないが拒否だ。雪には悪いが、今日はもう話す気力がない。俺は心の中で手を合わせながら電源を切った。
考えてみれば、スマホの電源を切ったことなんてほとんどなかった。いつだって瑞樹からの返信を待っていたから。
(……そういえば)
一週間前のことが頭に浮かぶ。会社のフロアの隅にある自販機で、抹茶ラテを買おうと思った時だ。いつもやたら元気のいい後輩、沢田の弾けるような声が上がる。
「あ、立石さん! お疲れ様です。ご連絡ありがとうございました!」
思わず耳に神経が集中する。部署が違うから、瑞樹はたまにしかうちのフロアには来ない。
「いや、あれでよかった?」
「ええ! いつもすぐに返信くださるんで助かります」
(すぐに返信? 誰の話だ)
動揺した俺は、気づいたら無糖コーヒーのボタンを押していた。いつもミルク入りや砂糖たっぷりのものしか飲まないのに。ちらりと視線を走らせると、沢田と話しているのは確かに瑞樹だ。
(いや、仕事だからな。すぐに返事はするだろう。私的な話じゃないし)
チラ見すれば、最近俺が見たこともないような笑顔だ。他の部署に来ても、あっという間に人に取り囲まれているのは、瑞樹らしい。
自販機の脇はすぐ窓で、俺は外を向いて休憩のふりをした。今度飲みに行きましょうよ、との声に瑞樹は何と答えたのか。どっと笑い声が上がる。
(……最近、瑞樹と一緒にいて笑ったことなんかあったかな)
話し声が聞こえなくなった頃に、さりげなく自分の席に戻る。少し離れた席の話し声が聞こえる。
「立石さんって、きっと彼女にもまめなんだろうな」
「だろうね。あっ、飲み会の返事、もう来てる! スケジュール見てくれたんだ」
手の中のコーヒーが床に落ちた。慌てて拾っても、動揺が消えない。
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