5. 人魚の肉

1/1
前へ
/16ページ
次へ

5. 人魚の肉

 二階堂の死後、今日子は地方の港町を秘かに訪れた。  蔦が絡まる古い煉瓦造りのビルに、『La Sirène(ラ・セイレーン)』というバーがあった。人魚という意味のその店に行けば、永遠の命が得られるというのが二階堂の遺言だった。  人魚の肉を食べると、人は永遠の命を得られる。その昔、八尾比丘尼(やおびくに)は人魚の肉を食べて不老不死となり、乙女の姿のまま八百歳まで生きた。  不老不死を願う人は現代にもいて、人魚の肉は密かに流通している。  一定期間、一定の海域でひっそりと行われる人魚漁が終わると、特別の店でだけ人魚の肉を手に入れられるという。その一つがこのバーだった。  店に入るとバーカウンターの奥に、渋いスリーピースを来た老バーテンダーがいた。ほかに客はいない。 「いらっしゃいませ」  今日子はカウンターの示された椅子に座る。 「何になさいますか?」 「永遠の命を」  今日子はそう答えた。  その夜、今日子は老バーテンダーが作ってくれた、人魚の血が入った“ブラッディ・マリー”を飲んで永遠の命を得た。  以来、今日子の肉体は二十七歳のままだ。  普段は年相応に見えるよう老けたメイクをしているが、メイクを落とせば二十代の若さのままだった。  永遠の命を得たことに、まったく後悔はない。これで二階堂との約束を果たし、永遠に『天使の祈り』を演じ続けられるのだから。  それなのに今、今日子の前には“実年齢”というやっかいなものが立ちはだかっていた。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

43人が本棚に入れています
本棚に追加