羽化(飛べなかったあの頃)

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 今日もライターの講師が、ホワイトボードにテーマを書いた。都会の片隅にある、シナリオライター養成の小さな事務所。小さなスペースではあったが、自分には何かが出来るかも知れないと夢見る若者が、そこには集っていた。 「最近提出される作品は、どれもパッションに欠けるんだよなー。そこで今日のテーマは、まさに情熱!。これで書いてみろ。」 講師はボードを平手でバンと叩きながら、生徒に檄を飛ばした。すると、みんな一斉にキーボードを打ち始めた。歩(あるく)を除いては。彼はいつも状況設定に時間を割く。そして、それが頭の中でしっくりいった段階で、ようやく書き始める。それが彼のスタイルだった。 「遅いよ、歩君・・。」 講師はデスクの横を通りながら、彼の頭を右手でクシャクシャと撫でた。小一時間ほどが経過した時、 「出来ましたー!。」 と、紅い革ジャンを羽織った翔(しょう)が真っ先に手を挙げた。 「おー!。相変わらず早いな。どれどれ・・。」 講師は席に着くと、自身のPCの画面に翔の作品を送信させて、閲覧した。そして、口元を抑えながら、真剣に彼の文章を読み耽った。そして、 「OK!。相変わらず、熱量が凄いな。躍動感もバッチリ。もうちょい先も、いけるか?。」 講師はたずねた。翔は親指を立てながら、 「勿論!。」 といって、続きに励んだ。いつものことではあったが、翔の書く速さに、みんなは呆気に取られた。そして、自分も追いつけ追い越せとばかりに、キーを叩いた。 「カタカタカ。カタカタカタ。」 その打つ手にも次第に熱を帯びだしたが、ただ一人、 「カタ、カタ、カタ・・。カタ、カタ・・。」 と、緩やかなテンポで打つ音が、常にバックグラウンドのように微かに響いた。 「あのさ、そのテンポ、何か辛気くさいから、もうちょっと景気よく打ってくれない?。」 隣にいた女子生徒が歩をみながら、そういった。 「え、でも、これがボクのペースだから・・。」 と、歩は相変わらず、スローな打ち込みをやめなかった。 「よーし。今日書いた所までを、こっちに送信するように。それが終わったら、まだの人は続きを書いてこい。いいな?。以上。」 講師の掛け声に、みんなはデータを送信し終えて、事務所を後にした。しかし、歩だけは、その後もゆっくりとキーを打ち続けていた。 「おーい、歩君、もう終わりだよー。」 「いいから、放っとけよ。」 歩のことを茶化す生徒もいたが、そんなことは気にせず、彼はひたすら画面と向き合っていた。すると、 「よう!。相変わらずカメさんだな。」 そういいながら、紅い革ジャンの翔が歩の傍らにやってきた。 「うん。ボクはこれしか出来ないから・・。」 歩がそういうと、 「その表現、おかしいだろ?。こんな風にしか。動詞や状況を説明するなら、こっちだろ?。これだと代名詞だから、名詞の代わりにしか使えないぜ。」 派手な出で立ちとキャラな翔だったが、語彙や表現に関しては、極めて文法に忠実で、かつ論理構成が抜群だった。 「で、オマエ、何処まで書いたんだよ?。」 そういうと、翔はPCの画面に表示されている文章に目を遣った。 「あ、まだ書きかけだから・・。」 歩は見られるのを躊躇って、両手で画面を遮ろうとしたが、翔はその手を軽く払うと、彼の文章を読み始めた。 「青々と茂る葉の中に、微かに薄き緑色の物体がちょこんとくっ付いていた。風に揺られながら、何をするでも無く、その薄い緑色の物体は、枝の揺れが治まるのを待った。太一はよく目を凝らして見てみた。すると、そこには節の端々がシンメトリーに彩られた、アゲハの幼虫が止まっていた。太一はそれを、じーっと見つめていた。太陽と木の葉と幼虫と太一。皆が一つになりながら、夏を彩っていた。」 翔はそこまで読み終えると、数秒動かなかった。そして、 「何だこりゃ?。」 歩の方を振り返りながら、翔がいった。 「オマエさー、今日のテーマ、覚えてるか?。情熱だろ?。この文章の、一体何処に情熱の要素が含まれてるってんだ?。」 そういいながら、翔は困ったような顔で、歩を見つめた。 「えっと、それはまだこれからで、今は物語の導入部だから、こういう場面だよってのを説明しようと・・、」 歩くがそういうと、翔は彼の肩をポンと叩いて、 「あのな、いいか?、熱ってのは、時間が経てば経つほど、ドンドン冷めちまうんだよ。こんな田舎の風景みたいなのを訥々と述べてても、誰の心に灯が灯るよ?。情熱っていわれたんなら、もっと、バーンとインパクトを持って表現しなきゃ!。」 そういいながら、翔は歩の前で両手を広げながら、赤い革ジャンをこれ見よがしに見せつけた。 「ま、いいや。オレ、バイトがあるから。じゃあなー!。」 翔はそういいながら、颯爽と教室を後にした。その後も歩はキーを打ち続けたが、掃除の係の人が、 「あのー、もう此処、閉めるんですけど・・。」 と、モップとバケツを持ちながら、歩にいった。 「あ、すいません。もう出ますから・・。」 そういうと、歩はPCを閉じてカバンに仕舞い、事務所を後にした。  歩は相変わらず遅筆ではあったが、提出期限に遅れることは殆ど無かった。しかし、 「うーん、歩君さ、此処は学校じゃ無いから、皆勤とか提出物をいくらしっかりやってもダメなんだよなあ・・。」 講師はそういうと、歩の授業に対する姿勢は評価に繋がらないことを伝えた。 「確かにキミの文章は、世界観がしっかりと設定されていて、丁寧な表現ではあるけど、ただ、それだけなんだよ。解るか?。プロになるんなら、人が見てハッと驚いたり、目が離せなくなるような、そういう物語を綴らなきゃ、意味が無いんだよ。」 そういいながら、講師は歩に発破をかけたつもりだったが、彼の姿勢も、毎回書いてくる文章も、変化することは無かった。授業に参加している生徒達は、互いの文章を見せ合ったり批評し合うことで、少しでも自分達の向上に繋がる切っ掛けを見出そうとしていた。そして、そんな彼らが歩のことなど、気にかけるはずが無かった。ただ一人を除いては。 「よう。どうだ?。今度のテーマは。何か面白いものでも書けたか?。」 赤い革ジャンを着た翔がまたやって来て、一人で残って執筆を続けている歩の所にやって来ては、進み具合をたずねてきた。 「うん、あんまり得意なテーマじゃ無かったから、いつもよりは遅れてるかな・・。」 「いつもよりって、オマエ、ただでさえ遅いのに、それじゃあ間に合わないぜ。どれ、オレが見てやるから。」 そういうと、翔はいつものように、半ば強引に歩のPCに手をかけて無理矢理宇画面を見ようとした。いつもなら仕方なく見せてしまう歩ではあったが、この日は少し様子が違っていた。 「いや、これはダメ。まだ見せられない。」 いつもより強情に見られることを拒んだ歩だったが、翔はお構いなしに見ようとした。 「いいから、見せてみなって。」 「嫌だよ!。」 「オマエ、評価してもらうために此処へ来て書いてるんだろ?。なら、見せないのはおかしいじゃ無いか!。」 そういいながら、翔は歩と揉み合いになった。あまりに翔がしつこいので、歩は力任せに翔を突き飛ばしてしまった。 「ドシャッ!。」 その拍子に、翔は体を捻って俯せに倒れてしまった。と、その時、 「痛えーっ!。」 翔は大声でそういうと、頭を抑えてのたうち回った。あまりに大袈裟なリアクションに歩は小芝居でもしてるのかと疑ったが、 「ボタボタボタッ。」 と、床に何かが滴る音がした。鮮血だった。顔を覆う翔の指の間から、血が滴り落ちていたのだった。 「うわっ!。大丈夫か?。」 歩は慌てて翔の体に触れようとしたが、あまりの痛さに翔は気が動転していた。そして、振り回した肘が歩の顔面を捉えた。 「ドカッ!。」 「ガシャーン!。」 歩は勢いで吹っ飛ばされて、机もろとも倒れてしまった、あまりに大きな物音がしたので、事務室から人が駆けつけてきて、 「おい!、何をしてるんだ!。」 と怒鳴り込んできたが、床に広がった鮮血を見て、 「うわっ!、何だこりゃ。」 と、大層驚いた様子で事務所に戻ると、他の人を呼んで翔を介護させ、そして救急車を呼んだ。歩は事情を聞くために、事務所に呼ばれた。 「何があったんだ?。」 講師や他の人達は歩を問い詰めた。別に隠すことでも無いと思い、歩は起きたことを淡々と語った。事件性は無いと学校側は判断したが、問題は翔の状態だった。 「はい、はい。宜しくお願いします。」 事務の人が搬送先の病院からの連絡を受けて、深刻な表情になった。そして、側にいた講師の方を向いて、 「今から緊急手術だそうです。どうやら片目を怪我したらしくって、かなりの損傷が・・。」 「それはマズいな・・。」 講師もそういいながら、口元を抑えて黙り込んだ。その様子を歩は黙って見ていたが、一体、何故こんなことになってしまったのかと、訳が分からず、ただただ呆然としたまま、椅子に座って俯いてた。後日、学校側も事態を重く受け止め、入院中の翔や家族に事情を説明して、一切の責任を負う旨を伝えたが、 「悪いのはボクです。」 と、翔がこの件についての責任が自身にあるという主張を曲げなかったので、 歩に対しては不可抗力による事故ということで、お咎め無しとなった。そして数日後、退院した翔が眼帯をした痛々しい姿で学校に戻ってきた。 「よう、大丈夫だったかい?。」 「痛そうだけど、いけるかい?。」 みんなが翔の所に駆け寄ってきて、心配そうに声をかけた。 「ああ。ちょっと転んで、目を打っただけさ。」 翔は例の件について、みんなが知らないであろうから、余計な心配をかけさせまいと、軽い口調でそういった。その様子を、歩は教室の隅っこで、如何にも申し訳無いといった表情で聞いていた。それ以降、二人はお互いに気まずくなって、次第に口も聞かないばかりか、目も合わせなくなった。そして、あれだけ華やかだった翔も、片目の視力が戻らないことが日常生活に大きく支障を来す結果となり、教室を休みがちになっていった。  翔の友人達が、 「なあ、最近アイツ、どうしてる?。」 「連絡も取れないしなー。」 「この前見かけたってヤツがいたけど、何か別人みたいだったってさ。」 そんな噂話を、歩が気にならないはずは無かった。特に責任を問われることは無かった歩ではあったが、自身の行動が翔の目を傷つけてしまったのは事実である。そのことの重みを、彼は抱えきれないで悩んでいた。そして、 「あの、彼の連絡先、教えてくれないか?。頼むよ。な。」 と、歩は友人の一人に懇願して、何とか翔の住所を聞くことが出来た。そして、授業が終わったある日、歩はとあるアパートに向かった。翔が一人暮らしをしている場所だった。階段の所で、歩は彼の帰りを待った。そして、数時間経った深夜、向こうの方から眼帯をした男性がトボトボと歩いてきた。間違い無く翔だった。歩は声をかけようとしたが、どうしても言葉を発することが出来なかった。逆に、歩の姿に気付いた翔が、 「ん?、歩か?。何してんだ?、こんな所で。」 と、歩にたずねた。 「あの・・、最近、授業に来なくなったから、心配で・・。」 歩は訥々と話した。翔は如何にも怪訝そうな顔をして、 「オマエが心配なのは、オレのことなんかじゃ無くって、こういうことを引き起こしてしまった、自身に対する罪悪感だろ?。え!。」 と、語気を強めて歩に詰め寄った。翔の言葉は歩の胸を貫いた。今さら彼に会ったところで、彼の目がどうこうなる訳では無い。事件性が無く、事故という事で責任問題の話が済んでもいた。しかし、歩の心の中には、どうしても拭えない何かがあった。そして、そのことを期せずして、翔にいい当てられたのだった。歩は何をどうしていいのか解らず、頭を項垂れた。すると、 「おい、いい加減にしろよ!。泣きたいのはこっちの方なんだぜ!。オマエのせいとはいわないけどさ、片方の視界が見えなくなるって、どういうことが、オマエに解るか?。世界が半分無くなっちまうようなもんなんだぜ!。」 翔の言葉は、いくつもの剣のように、歩の心を突き刺した。そして、どんどん卑屈になっていく歩の姿を見て、翔は苛立ちを隠せなかったが、 「あー!。鬱陶しいなあ。オマエの顔なんか、見たくも無えよ・・と、いいたいとこだが、ちょっと着いて来いよ。」 そういうと、翔は歩を誘って歩き出した。歩は仕返しをされても仕方ないと、覚悟を決めていたので、彼のいうままに後をついていった。付いた先は小さな公園だった。翔は自販機で缶コーヒーを二つ買うと、一つを歩に差し出した。 「ほら、飲めよ。」 翔も缶を開けると、ブランコの脇にある柵に腰掛けてコーヒーを飲み出した。 「いいから座れよ。」 歩を横に座らせると、翔は静かに語り出した。 「この際だから、ハッキリいう。オレは自分が才能に満ち溢れていると思っていた。どんな状況でも瞬時に思いついて、即座に文字に落とすことが出来た。物心ついた時からそうだったから、それが普通だと思ってた。でも、学校で作文の時間に、みんながあまりにも文章が書けないのに、オレは驚いた。そして悟った。オレは天才なんだと。」 その話を、さっきまで項垂れて聞いていた歩だったが、次第に目を輝かせながら、翔の話に引き込まれていった。 「どんな文章を書いても、コンクールで賞をもらった。このまま何でも書ける。そう思ってた。でも、世の中、そんな甘いもんじゃ無えよ。子供の頃に閃いてた頭も、色んな現実や知識が覆い被さるように纏わり付いて、あれだけ自信のあった自分の感性も、いつ枯れるんだろうと、不安が付きまとうようになった。そして、そのことに気付かれないように、オレはワザと派手な出で立ちで閃光を放つ存在になろうとしてた。お前と会うまではな。」 その言葉を聞いて、歩は耳を疑った。 「ボクと?。」 「ああ、そうだ。」 そういいながら、翔はコーヒーを一口飲んだ。そして、話を続けた。 「何処の田舎から来たのか解らない、ダサくてのろまなヤツが、一丁並みに文章だけは丁寧に書きやがる。取りたてて華々しい表現も、ドラマチックな展開も無い普通の文章にしか見えない。一見するとな。でも、その文章には、地面から生えた何かがしっかりと根を下ろしながら、生命のうねりみたいな枝ぶりで躍動してる。そして、そこに登場する全ての人物も、情景も、まるで一つの生命体みたいに生き生きしてる。それを見た時、オレは思った。オレが書けなくなって、藻掻いて藻掻いて探し求めていたのは、これじゃ無いのかって。」 歩は翔の告白に、心臓が止まりそうになった。自分はただただ淡々と、自身の思い描く世界を忠実に表現しただけだった。ましてや、それがよい文章だなどと人から評価されたことも、一度も無かった。 「オレは、自分を超える才能が存在することを、認めるのが怖かった。だから、オマエにだけは、そのことを知られたくなかった。そして、オマエの文章に触れながら、オレは変われるかも知れないと、そう思った矢先、これだよ。」 そういうと、翔は眼帯をしている方の目を指差した。  翔の言葉に歩はハッとなって、また急に落ち込んだ。そして、 「ボクが悪かったんだ。だから、ボクは学校を辞める・・。」 と歩がいった瞬間、 「馬鹿野郎!。これは不可抗力だ。あるいは、これ見よがしに才能をひけらかしてたオレへの罰だ。その後も何とか文章を書こうとしてみたが、才能の枯渇どころか、目の痛みで集中どころじゃ無くなっちまったんだよ!。だが、オマエは違う。オマエにはオレを遥かに超える何かがある。だが、それはまだ蛹だ。どんなにポテンシャルを秘めてても、如何せん、見たくれが悪い。それを突き破って化けなきゃ駄目だ。いいか!、その時が訪れるまで、書き続けろ。どんなに苦しくったってだ。オレにはそのことをいう権利がある。だろ?。」 翔は立ち上がって、歩を片方の目で睨み付けながら怒鳴った。歩はもはや、心の中の感情がぐちゃぐちゃになっていた。そして、思わず涙目になりながら、 「・・・うん。解った。」 と、一言だけいって、頷いた。 「ようし、約束だぞ。」 翔は優しく歩にいった。 「で、翔君は、どうするの?。」 「オレか?。今は何をやっても駄目だな。集中力が続かない。ま、気長なリハビリの期間だと思って、適当に過ごしてくさ。」 歩の問いに、全てを吐き出した翔は、さばさばした表情で夜空を眺めた。すると、 「じゃあ、ボクもお願いがあるんだけど・・。」 歩がいった。 「何だよ?、願いって。」 「翔君も、書いて。文章。ボクはキミの書く煌びやかで眩しい世界が好きだったんだ。ボクなんかが決していくことの無い、極楽みたいな世界が。」 「極楽って。縁起でも無え。でも、オマエがそういうなら、オレもやってみるかな。何時になるかは解らねえけどよ。リハビリが済んだら、ぼちぼちとやり始めるか。その間、オマエはもっと語彙と文法を身に付けとけよ。いずれはそれが武器になるはずだからよ。」 そういうと、翔は歩の肩をポンと叩いて、右手を挙げながら公園を去っていった。それが、歩の見た翔の最後の姿だった。翌日からも、翔は学校には来なかった。歩くは彼が来るのを信じつつ、ひたすら文章を書くことに打ち込んだ。  その後、就職の決まった者や、念願叶ってライターの仕事にありつけた者も一握りはいたが、大抵が特に何も決まらず、学校を巣立っていった。歩は地味なバイトや派遣の仕事を続けながら、くたくたになって帰って来た後、僅かな時間を惜しんで文章を書き続けていた。日々の生活はギリギリだったが、彼は翔との約束を果たすべく、ひたすら書き続けた。何年、何十年・・。どれ程の月日が経っただろうか。歩の文章は、自然科学系の雑誌のコラムがきっかけとなって、少しずつではあるが、次第に注目されるようになっていった。取りたてて人生に大きな出来事があった訳では無かったが、彼が描く世界観と、それを見つめる彼自身の実年齢、そして何より、時代がようやく、彼の表現するものに近づいて来た感があった。そんなある日、 「あの、歩先生。たまには小説も書いてみてはどうですか?。」 付き合いのある編集者が、彼にそういった。何らかの文章は常に書いている歩だったが、小説と聞いて、彼は久しぶりに翔のことを思い出した。 「解りました。やってみます。」 以後、歩は小説を書くためにできる限りの時間を割いた。渾身の力を込めて挑んだ。そしてついに、完成した原稿を編集者に手渡すと、 「これでお願いします。」 そう伝えて、再び普段の執筆作業に取り組んだ。数週間後、歩の元に編集者が血相を変えて現れた。 「先生!、ノミネートですよ!。先生の作品が。」 「え?、一体、何の・・?。」 何と、歩の書いた小説が、大きな賞にノミネートされたのだった。しかし、彼が驚いたのは、それだけでは無かった。同時に発表される、もう一つの賞にノミネートされた人物の名に、見覚えのある名があった。 「翔・・。彼か?。」 歩は心臓が飛び出しそうになった。自身の事よりも、その名を再び目に出来たことが、至上の喜びであった。歩は両手の指を重ねてギュッと握りながら、何かを拝んでいるようだった。そして数日後、歩の元に朗報が届いた。彼と翔と称する人物の受賞が決まったとのことだった。 「やっと、彼に会える・・。」 歩はついに待ちわびた時が来ると、心弾んだ。だが、受賞の会場に、彼の姿は無かった。二日前、長年の不摂生が祟って、彼はこの世を去ったのだった。授賞式が執り行われたが、歩の顔に笑顔は無かった。すると、舞台の袖から歩宛てに、一通の封筒が手渡された。裏には翔とだけあった。慌てて封を開け、歩は中から手紙を取りだして読んだ。 「化けやがって。この野郎!」 歩は手紙を握り締めながらガッツポーズをし、嗚咽した。 「やったよ!、翔君!。」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!