彼者誰時2

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彼者誰時2

 その日、僕は仕事を持ち帰り早く退社した。それは日が暮れる前にこの場所へ来る為。今では家じゃなく、この場所に居る時が一番彼女を近くに感じられる気がする。  それは言ってしまえば単なる黒交じりの灰色をした石の塊。文字の刻まれた墓石でしかない。でもこの場所で目を閉じれば目の前に彼女がいる気がするんだ。彼女が好きだった花を供えて、たまに好きだったスイーツとかを供えたりして。そうする事で今でも君の喜ぶ顔が目に浮かぶ。君の声が聞こえるような気がする。今でも君を感じるんだ。 「陽咲」  でも実際はもう君はここにいない。名前を呼んでも答えてくれない。あの笑顔はもうそこには無い。同時にどうしようもなく現実的なその事実を実感させられてしまう。  目を閉じてた時とは打って変わって、孤独感が溢れ出すんだ。彼女はもういない。その事実が鈍器の様に僕を殴る。それは一時の夢で、幻想。目を開けば目の前には無表情の墓石があるだけ。心の奥底には今でも彼女が居て、彼女を感じる。でも手を伸ばし墓石に触れてもそこにあるのは、冷たく滑らかな石の感触。 「陽咲……」  これまでも――そしてこれからも僕の胸から彼女が消える事はない。いつでもそこにいて、いつでもあの大好きな笑みを浮かべてる。あの大好きな表情を浮かべてる、あの大好きな何てことない横顔が見られる、そこにはずっと大好きな陽咲が居てくれる。  でもやっぱり僕はこの手で触れたい。この腕で抱き締めたい。あの声を聞きたい。心安らぐ匂いを感じたい。心とは別に五感で彼女を感じたいんだ。 「やっぱり君が恋しいよ」  陽咲を思い出していただけでいつしか声は震え、鼻根に突くような感じがしたかと思うと、温かな雫が頬を伝っていた。 「会いたいよ。陽咲」  内から溢れ出す彼女への想いは泪だけでは収まらず言葉として口からも零れ落ちていた。  でもこの泪も言葉も想いでさえ、もう君には届かない。こんな僕を笑ってくれる君はもういないんだ。それをより強調するように冷たくなり始めた風が肌を撫でる。肌どころか心にまでその冷たさは染渡り、淋しさを色濃く感じさせた。  それからどれくらそこに居んだろう。ただ見えない君を見て――いや、君との想い出に浸り、君を近くに感じて少しでもこの気持ちを誤魔化し続けて時間の感覚なんてなかった。その場を立ち去った時には何時間も経っていたかもしれないし、数十分だけだったかもしれない。分からない。ただ僕の中にあったのは、横を歩く君がいないという慣れない違和感と家に帰ればいつものように君が待っていてくれてるんじゃないかっていう虚しい期待。
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