彼者誰時5

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彼者誰時5

「ただいまぁ」  僕の声を追うようにドアの閉まる音は真っ暗な家へと広がり虚しく消えていった。どれだけ望もうともその声に返事は返ってこない。どれだけ期待を胸に家へ帰ろうとも――もう陽咲はいないんだ。真っ暗な家。森閑とした家。その現実が毎回、家へ帰る度に僕へ襲い掛かる。  僕はいつから家に帰れば彼女が――陽咲が待ってくれているという状態に慣れてしまったんだろう。同棲し、結婚してからいつしかそれが僕には当たり前になっていた。何の疑問も持たず息を吸えば自然と呼吸が出来るように、僕には当然の事だった。  でも今はもう違う。家に帰っても一人暮らしをしてた頃と同じ。いや、あの幸せを知ってしまった分より一層虚しさと淋しさが押し寄せて来る。家に帰り呟く声を呑み込む暗闇は不気味な程に静まり返り、それが彼女の笑い声や優しい声を思い出させるんだ。暗闇の中に彼女の顔が見える。無音の中に彼女の声が聞こえる。でもそれが逆に彼女がいない事を突き付ける。  一人暮らしの時は毎日じゃないけど自炊もしてたし、彼女と一緒になってからはご飯を作ってくれてた。だけど今は全くそんな気分にはなれない。 「はぁー」  溜息と共にテーブルに置いた袋には買ってきた弁当が入ってる。最近はこれが多い。心身ともに疲れ切ったまま温めてお酒と一緒に食べて。こんなんじゃ陽咲に怒られそう。アルコールの所為で少し夢見心地な気分になりながらもそんな事を思っていた。 「全く。健康に悪いよ? それにこんなとこで寝て」  すると聞き慣れたその声が僕の耳元へ。僕は雲の上を歩くような気持ちのままゆっくりといつの間にか伏せていた顔を横へと向けた。そこに居たのは若干ながら呆れた表情を浮かべる陽咲だった。にも関わらず僕は僅かに吃驚を抱えながらも落ち着いて(彼女を見つめながら)顔を上げる。
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