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彼者誰時8
僕はそんな自分を嘲笑するように鼻で笑った。
「蒼汰」
でも陽咲の声はまたしても聞こえてきた。すぐ後ろから聞こえてきた。あまりにも恋しくて、あまりにも求めすぎて、僕は幻聴でも聞こえてきたのかもしれない。
「ねぇ、蒼汰ってば」
でもすっかり我に返っていた僕の耳へ尚も届く声。自分を疑いながらも僕は気が付けば後ろを振り返っていた。最早、そうせざるを得なかった。陽咲はもういない。現実を受け止めろ。自分へそう言うように誰もいない背後をその双眸にしっかりと焼き付ける――つもりだった。
だけどそこには人が一人立っていた。着物に身を包んだその背中では微かに黒く長い髪が揺れ、顔は無表情の狐面で隠している。僕は訳が分からずただ黙り、その人を見つめながら眉を顰めるしかなかった。
「――久しぶり。だね」
声は陽咲そっくり。だけどお面をしているのもありその人が一体誰なのか見当も付かない。
「誰……ですか?」
口調からして親しい、もしくは親しかった人なのかもしれない。戸惑いの中、記憶のアルバムを捲るがピンとくる人物はいなかった。
「忘れちゃった?」
少し意地悪くその人は言っていたが、誰だか分からない僕はその調子に合わせる余裕は無かった。
それを察したのかその人は数歩だけ歩みを進め(少し距離を置いた場所まで)近づくと、またしても懐古の情を刺激される声で名前を口にした。
「私――陽咲だよ」
その言葉に僕は絶句したように何も言えなかった。口だけが半開きになり、ゆっくりと顔を横に振る。戸惑いと怒りと呆れ。回るスロットの様に感情は通り過ぎ、最後はそれら全てが混じり合った名前の分からない感情が僕を支配していた。思ったより激情で、思ったより冷静。矛盾した感情がそこにはあった。
「僕の大切な人をそんな風に扱わないで下さい。僕が一番愛した――いえ、今でも愛してる……僕の大切な、大切な人なんです」
この人が誰だか分からないが、きっと僕をからかおうとしてるんだろう。元気付けようとしてくれてるのかは分からないけど、それは笑えない。
「ありがとう」
でも返ってきた言葉は、そんな僕の首を傾げさせるものだった。
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