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しかし、白くて長い橋を走っても走っても同じ景色が続くばかりで進んでいるという感覚がない。疲労だけが募り、徐々に息が荒くなって私は遂に足を止めた。
膝に手をつき、荒い息を整える。そんな私の前に一瞬で移動して来た彼が、前方を塞ぐように立ちはだかった。
「悪いっ! こちらの不手際なんだけど、今はとにかく時間がなくて……。君の意識が下界に戻る前に、俺のことを全部忘れてもらわなきゃ駄目なんだ」
そう言うなり彼が頭を下げてくる。
そんなこと、頼まれなくても早く忘れたいし、一目散に逃げ出したいと思っている。
私は焦って早口で言葉を返した。
「わ、忘れます! あなたのことは全部忘れます! 誰にも言ったりしません」
早くこのよく分からない空間から逃げ出したい。
そんな思いでいっぱいだった。
「ありがとう。俺たち天使にとってはただの記憶消去でも、人間には意味のある行為だって知ってるから……。ごめんな」
謝罪の言葉の後、不意に手首を掴んで強く引き寄せられ、私の体が彼の腕の中に倒れ込む。
ーーえ?
突然抱き締められて、耳元で甘い低音の囁きが響いた。
「じゃあ、消させてもらう」
その直後に両手で肩を掴まれて、長身の彼が身を屈め顔を近付けてくる。
ーーえ、うそ?
あまりに突然の事態に、混乱した私は動けなくなっていた。
ゆっくりと迫ってくる彼の唇。固まって動けないまま、唇があと五センチ、三センチとこちらに迫ってくる。
それが触れる寸前……。
私の視界がグニャリと歪んだ。
霞んでいく思考と視界。
更には抗えない脱力感に襲われ、私の意識が徐々に遠のいていく。
ーー倒れるっ。
薄れる意識の中で、床に崩れ落ちる痛みを覚悟したけれど、その痛みが襲ってくることはなかった。
「間に合わなかったか。隊長、タイムオーバーです! 記憶を消す前に、奥井 澪の意識体は下界の肉体に戻りました」
最後の意識が途絶える直前、そんな彼の言葉が聞こえたような気がする。
けれどその数秒後には、まるで深い眠りに落ちるかのように、私の意識はそこで完全に暗転したのだった。
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