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2話:屋上での再会
臨死体験をした事のある人は、いったいどれくらいいるのだろう。
私は高校一年の夏休みに事故にあい、二週間眠り続けていたらしい。目を覚ますとそこは病院のベッドの上で、家族が涙を流し私の目覚めを喜んでいた。
どうやら私は、学校の側の川に流された捨て犬を助けようとして自分も川に落ちてしまったようだった。それをたまたま目撃した私の部活の先輩が、すぐに通報してくれたお陰で一命を取り留めたのだと母親から聞かされたのだ。
夏休み期間中にしっかり静養し、私は二学期からまた今まで通り元気に登校することができていた。
「香織先輩! 本当に有り難うございました!」
日差しの降り注ぐ学校の屋上で昼食をとりながら、私は隣に座っている命の恩人にお礼を言った。私が所属している合唱部の部長で、とても尊敬している先輩だ。
「もう何回目よ。お礼は充分もらったから! 夏休み中だって、電話もメッセージもいっぱいもらったしね」
「だって、何回言っても足りません」
「澪のご両親からも、クッキーにゼリーにケーキに、好きな物いっぱい頂いちゃって」
「まだまだ足りないです!」
「ちょっと、私を太らせる気?」
香織先輩はスタイルがよく、ショートヘアーの似合うクールな雰囲気をしている。性格はとても優しくて、後輩からは『女神』と言われていた。
「香織先輩は全然大丈夫ですよ。それに比べて私は……」
スタイルにはあまり自信がない。
それに香織先輩のようなショートヘアーに憧れているけれど、いつも無難に肩の辺りの長さのボブにしている。朝寝坊してしまった時に、サッと結べる長さが楽だったからだ。
「何言ってるのよ。澪は自分の可愛さを分かってないんだから」
「そんなこと言ってくれるの、香織先輩だけですよ」
私は香織先輩のキュッと引き締まったウエストを見つめる。そして自分のウエストに視線を戻し、ため息をついた。ダイエットをしたいとは思っているけれど、ついつい誘惑に負けてしっかり食べてしまう。
ーー今だって。
「卵焼き、大好き」
私はお弁当のだし巻き卵を箸で摘んで頬張った。
そして、ずっと気になっている事を先輩に聞く。
「香織先輩。天使って、いると思います?」
「またあの時の夢の話?」
「はい」
私は自分でも説明のつかない不思議な記憶について考えていた。
それは、全身真っ黒な死神のような雰囲気の天使のことだ。最初は事故で眠っている間に見た、ただの夢だと思っていた。けれど日が過ぎても天使だと言った彼の姿を鮮明に覚えていて、むしろ日を追うごとに細かな事まで思い出すようになっていた。
『俺のことは、全部忘れてもらわなきゃ駄目なんだ』
その言葉と、抱き寄せられた感触が今も私の中にはっきりと残っている。彼氏いない歴がそのまま年齢である私にとって、男性に抱き寄せられた事だけでも衝撃的なことだった。
ーーなのに、あんな!
触れそうになった唇。
ーー絶対に、大好きになって恋をした人じゃなきゃ嫌だ。
「あ。澪、ごめん! 私、図書委員の集まりあるから先に行くね」
先輩の声にハッとして、私は思考の海から顔を上げた。
「あ、はい! 頑張って下さいね」
立ち上がり駆けていく先輩に手を振り、遠ざかっていく先輩の背中を見つめる。
その視界の先の澄んだ青空に、あるはずのない人影が見えた。
「え?」
見間違いかと思ったそれは、夢の中で私を抱き寄せた背の高い彼……ヒスイの姿で、彼が今、現実に私の目の前に存在している。
しかも、宙に浮いて。
そのまま彼は、重力を感じさせない軽やかな動きで屋上にふわりと着地した。
初夏だというのに、相変わらず黒のコートを羽織っており、百八十センチを越えていそうな長身がやはり威圧感を放っている。
そして、彼と目があった瞬間……。
あの時と同じ甘い低音に名前を呼ばれた。
「見つけた。奥井 澪」
端正な顔の口元が、嬉しそうに妖艶な弧を描く。
私はただ呆然と、その美しい笑顔を見つめる事しかできなかった。
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