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オネルヴァは不安気に彼を見つめていた。
イグナーツは軽く息を吐く。
「君がそんなに不安になるのであれば、こちらも本音を口にしよう」
ぴくっとオネルヴァの身体が震えた。
「君が『無力』でありながら君を迎えたのはエルシーのためだ」
「エルシーのため、ですか?」
ああ、と彼は大きく頷く。
「俺に妻は必要ない。だが、エルシーに母親は必要だ。君に求めるのは、エルシーの母親役。母親としての役割を果たしてくれれば、俺は何も言わない。例え君が『無力』であったとしても」
オネルヴァは、膝の上においていた両手で、思わずドレスをぎゅっと握りしめた。
「それが、わたくしがここに存在する理由ですか?」
「そうだ。幸いなことに、エルシーも君になついている。それに、君がここに来てから、エルシーも明るくなったし、勉強にも前向きに取り組んでいる」
エルシーはオネルヴァのことを「お母さま、お母さま」と慕ってくれている。
「はい」
そうやって理由を与えられたほうが、『無力』であっても、気兼ねなくここにいられる。
「ありがとうございます」
オネルヴァの言葉にイグナーツは何も返さない。ただ、黙々とケーキを食べていた。
オネルヴァも自ら取り分けたケーキを一口食べた。彼女が取り分けたケーキは、イグナーツの半分にも満たない量だった。
「オネルヴァ」
「は、はい」
突然名を呼ばれ、身を強張らせる。
「前にも言ったが。君は食が細すぎる。エルシーよりも食べていないだろう?」
「エルシーは育ち盛りですから」
「それでも、君だって立派な成人した大人の女性だ。俺が知っている女性よりも、明らかに食べる量は少ない。ヘニーからも、君の食事量を心配する声があがってきている」
「申し訳、ありません……」
「いや、謝罪することではない。君が向こうでどのような暮らしをしていたかはわからないが……。ここではきちっと食べて、エルシーの見本になってもらうような女性でいてもらいたい。そのような女性が貧相であっては困るからな」
まるで今のオネルヴァが貧相に見えるかのような発言である。驚いて、目を真ん丸に見開いた。
「いや、そういう意味ではなく……。まあ、例えだ、例え」
イグナーツが慌てているため、オネルヴァはくすりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
慌てる彼が、なぜか可愛らしいと思えてしまった。
二人は黙々とケーキを食べた。
オネルヴァが一国の王女であったにもかかわらず、こうやって料理ができるのも、あそこでの幽閉生活が長かったせいだ。勉強する時間だけはたくさんあった。
「旦那様。エルシーが手紙を読んで、すぐにお返事が欲しいと言っておりました」
二人だけの静かなティータイムを終えようとしたときに、オネルヴァはいつまでたっても手紙を読まないイグナーツに向かってそう言った。
「すぐに? 何か、大事なことが書かれているのか?」
あとでこっそりと読もうとしていたにちがいない。エルシーからの手紙を手にしたイグナーツは立ち上がり、執務席の引き出しからペーパーナイフを取り出すと、丁寧に閉じられていた封筒をピリピリと開ける。
中から出てきたのは便箋一枚。それでも幼いエルシーが書いたと考えれば、立派なものだ。
手紙に目を走らせているイグナーツの眉間に、次第に深く皺が刻まれていく。
「どうか、されましたか?」
ドレスを握りしめながら、オネルヴァは尋ねた。
「いや……。エルシーが人参を食べられるようになったら、なんでも言うことをきくと言っていたからな。その件だ」
「夜、一緒に寝たいと、エルシーは言っておりましたね」
「ああ……。それはいつだ、と書かれている」
「まぁ」
エルシーの手紙の愛らしさに、オネルヴァは目尻を下げた。だが、イグナーツは困惑しているようにも見える。
「早いほうがよいかと思います。まして、約束事ですから」
オネルヴァが声をかけると、イグナーツが手紙から顔をあげた。
「そうか。そうだな。今夜……か……」
ぽろっと彼がこぼした言葉を、オネルヴァは拾い取った。
「そのようにエルシーにお伝えしてもよろしいですか?」
「いや、あ。そうだな。だが、どこで寝る? 三人でとなれば、それなりに広い寝台が必要だろう?」
だが一人は子どもだ。大人二人眠れる場所であれば、充分でもある。
「でしたら、あの寝室ですか?」
オネルヴァが小首を傾げて尋ねると、イグナーツは首を横に振る。
「駄目だ。あの部屋は、まだ使っていない。使っていないのをエルシーに知られたら、俺たちが不仲であると不安になるだろう」
「でしたら、エルシーのお部屋がいいですね。エルシーの寝台でも、充分に広いですから」
オネルヴァが言った通り、エルシーが使っている寝台も大人二人が眠れるような広さの寝台である。そこにエルシーが一人で眠っているのだから、寂しくも感じるのだろう。
「そうだな。そうするか……」
渋々と口にしたような彼であるが、その口元は盛大ににやけていた。
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