OFF

4/5
前へ
/14ページ
次へ
「ーーなんて、偉そうに言ってたっけ」  懐かしむように当時の温田から今の温田へと意識を向け、曖裏は尚も語り続ける。 「温田先生の元を離れると、それまで報われなかった反動であらゆる大会やコンテストを総なめにしたりメディアに露出し続けたわ。その度に世界中から称賛や賛辞を受けたけど、それ以上に向けられたのは憎しみや妬み、それに畏れ。無理もないわ。なんの努力をしなくても、それまで血の滲む努力をしてきた人間やトップで活躍していた人間をあっさりと超越してしまったんですもの」  相槌を打つわけでもなく、じっと曖裏の話に耳を傾け続ける温田。 「できてもできなくても冷たい視線を向けられる運命に堪えられなくなってね。何度も人生を終わらせようとしたわ。でも無理だった。手首を切ろうとしても刃が皮膚を通らず、首をくくっても気道は塞がらず、あらゆる毒を飲んでも効かず、ガソリンを被って火だるまになっても髪の毛すら燃えず、高所から飛び降りても列車に轢かれても骨にヒビすら入らない。だったら何も口にしなければいずれ力尽きるだろうと水すら飲まずに長い時を過ごした。それも10年ほど経ってようやく諦めた。私はもう一切のエネルギーを必要としない身体になっているのだと悟ったの。要はもう、成長も衰退もしない、不老不死の身体になっていたのよ」  温田は握り拳に力を入れ、唇を噛みしめた。 「もしかしたら元に戻るスイッチがどこかにあるんじゃないかと手当たり次第に身体を痛め付けたりもしたわ。でも結局今日まで見つからず、元の私には戻れなかった。私にできないことは唯一それだけ。皮肉よね」  曖裏の瞳から、光るものが一筋、頬を伝い流れ落ちる。 「人間、裏ワザなんかに頼らず真っ向から勝負する方がいいってことよね。何でも簡単にできちゃったらつまらないもの」  一切表情を変えない温田に、曖裏はさりげなく涙を拭い微笑んだ。 「ごめんなさい。こんな馬鹿げた話、信じられないわよね」  それに対し、温田は首を振って否定した。 「曖裏さんの話は都市伝説になるくらい有名ですし、当時の映像だって残されてます。なによりこうして百年近く経っても当時のままの姿で生きているのを目の当たりにしたわけですし、自信はもう確信に変わりました」 「都市伝説……。ふふ。確かにそんな扱いにされてもおかしくない存在かも。私」  思わず失笑するも曖裏はすぐにいつもの真顔に戻した。 「先生も言ってたわ。成長しない人間はいないって。だけど私はもう成長しない。つまり私、あの日スイッチが入った瞬間から人間じゃなくなったの。魔女になったのよ」  ゆっくりと温田に近付き、すれ違いざまに言い放つ。 「魔女が実在するって判って満足したでしょ? さ、暗くなる前に帰りなさい。坊や」  サクサクと落ち葉を踏み鳴らし去っていく背中に、温田は叫んだ。 「幼少の頃、祖父の死に際に約束したんです! もしこの先の人生で冴梨曖裏に会ったら心の支えになってやってくれと! 祖父の気持ちは裏切れません!」  思わず足を止めた曖裏。かつての温田の顔、声、温もりが鮮明に呼び起こされる。 「……ダメよ。私は普通じゃないのよ。こう見えて百歳過ぎてるし、私と一緒にいたっていいことないわ。むしろ無力に感じると思う」 「そんなことはないです。僕はあなたより優れてるものがありますから」 「なにそれ。そんなのありえないわ」 「人を笑わせたり喜ばせたり感動させたり、時には怒らせたり悩ませたり悲しませたり。そうやって曖裏さんの心を揺さぶり、より人間らしく生きさせることができます」 「無理よ! 私は人間じゃないもの!」  近くの大木に拳を打ち付ける曖裏。拳を引き抜くと、大きな穴が空いていた。  それでも温田は怯むことなく言いのけた。 「……いえ、曖裏さんは人間です。そうやって感情的になる姿はすごく人間らしい。僕にはあなたが、臆病で謙虚な心の優しい人間の女性にしか見えないです」  温田は小刻みに震える肩にそっと手を置き言葉を紡いだ。 「人間はどこまでも成長できます。僕と一緒に、ゆっくりと人間らしく成長していきましよう」  この世に生を受け一世紀。他者から与えられた初めての愛。どんなに走っても、こんなにも身体が熱く、胸の鼓動が高まることはなかった。  曖裏は温田の胸に抱かれ、全てを受け入れた。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加