苦いビール

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 プシュッ。  九回表ツーアウト。それを確認して、みゆきは缶ビールを開けた。  さすがにもう大丈夫だろう。ホームランを打たれた時は逆転されるのではないかと不安になったが、あと一つ。あと一アウトで優勝だ。  ぐいっと飲むと幸せが広がる。  まさか、阪神が優勝するとは。今年はラッキーすぎる。  三年ほど、恋人がいなかったのが、今年は素敵な彼氏ができた。友達から人数合わせの合コンに呼ばれて出会った。5つ上のサラリーマン。なかなかのイケメンだ。ただ、問題点が一つだけある。  慎也は野球が嫌いなのだ。 「別に野球が嫌いなわけじゃないですよ」  そうは言っていた。 「ただ、球場で応援と言いながら、ヤジを飛ばしたり、酔っ払ったり、ああいうファンは嫌だと思いませんか?」 「もちろん、私も大嫌いです」  思わず、力を込めてしまった。そう、あんなのはファンの風上にも置けない。ファンはどんな時でも選手を応援し、支えるものだ。 「みゆきさんも嫌いなんですか」  思った以上に喜ばれてしまった。そのせいで、阪神ファンだということを言いそびれてしまった。付き合うようになってからも言いづらくて、そのままになっている。いつかは言わないといけないなあ。  あ、セカンドフライ。  うわっ、本当に優勝だ。  みゆきは思わず、拍手した。  ああ、この感動をやっぱり、慎也にもわかってもらいたい。  マウンドに集まる選手たちにそれから、観客席がテレビに映る。ああ、私も行きたかったなあ。平日、どうしても会社が休めなかった。  大きな横断幕を持った人たちが『六甲おろし』を歌っている。うらやましい。  あれ? あのユニフォーム姿、慎也じゃない?  みゆきはじっと、画面を見つめた。  誰かに無理やり付き合わされて、スタジアムに来たのかと思ったけど、ユニフォームにメガホン、それに大喜びしている姿はどう見てもタイガースファンだ。虎キチだ。  なぜ、隠していたんだろう。いや、私も隠しているけど、お互い正直に言っていたら、一緒に応援できたのに。  ちょっと、待って。  慎也が隣のピンクのユニフォームの女性と抱き合っている。慎也は一人っ子だと言っていたし、女性は子供を連れている。慎也そっくりの男の子だ。  そこでテレビの映像はマウンドに戻った。実際に慎也が映っていたのは短い時間だろう。ただ、スローモーションを見ているように長くはっきりと感じられた。  胴上げが行われるのを見ながら、頭は混乱したままだ。  一回、二回、三回。胴上げを見ている間に落ち着いてきた。たぶん、慎也は既婚者、子持ちだ。家族で球場に応援に行ったりするから、浮気相手を野球嫌いから選ぼうとしたんだろう。  六回。胴上げが終わる。私の恋も終わりだ。  こんな幸せな日にこんなこと知りたくなかった。  私はビールを飲もうとして、空になっていることに気づき、握りつぶした。  新しい缶を冷蔵庫から取り出すとぐいっと飲む。苦い、けど、美味しい。  テレビではビールかけまで放送すると言っている。 「そうか、ビールかけか」  最後にもう一度、慎也と会って、別れを告げよう。その時に「阪神優勝おめでとう」、そう言って、ビールをかけようと思った。
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