ブルームーン・ライド

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 通話を終えて戻ってきた彼女は、顔を曇らせている。 「大丈夫ですか? やっぱりもう、帰りましょうか」 「いや……」  彼女は佇んだまま、でこに手をやり、沸え切らない。 「もしかして彼氏?」  亜阿斗はいつだって直球で質問できる。その球種、俺にも分けて欲しい。 「彼氏……なのかな」  彼女の表情からは、幸せオーラはまるで感じない。そもそも彼氏がいるなら、こんな場に付き合ってくれないだろう。こんな時間に、メールやら電話やらしつこくかけてきて、自己中心的な男に決まってる。 「彼氏っぽい人に呼ばれてるけど、行きたくない、とか?」  恐る恐る、彼女の心境を探る俺。そうだとしたら、俺は引き止めたいけど。 「まさにそれです。奥さんと別れるなんて嘘だと思うから、もう終わりにしたいんですけど……」 「あー……」  亜阿斗と目が合った。なるほどそういう……。 「行かなくていいよ風衣瑠ちゃん。やめときなって、そんな男」  ほれ、と亜阿斗は彼女にスルメイカを差し出した。俺だって、彼女をこんな顔にさせる男の元には行かないで欲しい。けど、何て言葉をかけるのが正解だろうか。 「うん、私も断ったんだけど……あの人もしかしたら……」  彼女が言いかけた時、ぶぉんと一台のセダンが入ってきた。バタン、と運転席からスラリとしたスーツ男が降りてくる。じゃらっとキーを後ろポケットに突っ込みながらコツコツと気取った革靴を鳴らして近寄ってきた。 「風衣瑠、大丈夫だったか?」    整った眉を寄せて俺たちをじろりと見回してから、「早く帰ろう」と、彼女の腕を掴む。 「あーちょっとお兄さん! 風衣瑠ちゃんは今、俺たちと語り合ってるんで! お兄さんは大人しく奥さんの元へ帰ってくださいー」  亜阿斗が盾になり、いーっと、子どもみたいに威嚇する。 「何だお前」  男は蝿を煙たがるみたいに亜阿斗を避けて、彼女を連れて行こうとする。 「いや、史哉君、私もう」  彼女も必死に抵抗しようとはしているが、完全に力負けしている。俺にできることは? いけ、俺。  ふぅっと気合いを入れ、車の前に立ちはだかった。 「や、やめましょう、彼氏さん。彼女から聞きました、あなたは既婚者だと。彼女はもう関係を断ちたいと望んでます」  い、言ったぞ俺。冷静な大人の男だ俺は。こんな程度でばくばくなどし、してないからな。 「はっ?」  男は呆れ顔で彼女を見た。彼女は俯く。 「あのさ、あんたが風衣瑠を狙ってるだけでしょ? オレ達付き合ってるんで諦めてもらっていいですか? 月か何か知らないけど、どうせナンパしに来たんだろ? チッ……。だから月なんかどうでもいいから家で待ってろっつったんだよ」  カッチーン。こいつ…… 「違うの、史哉くん!」  彼女は腕を振り解いた。 「私、もう辞めたい。もう、史哉くんの言葉は信じないから」  ふぅ、ふぅと肩を揺らす彼女。  男は、いかにも慣れている風に、彼女の両肩をそっと包み、声のトーンを落とす。 「風衣瑠、ごめんな? 寂しい思いさせたよな? それでこんな男達に付き合って、オレの気引こうとしたんだろ? オレ妬いちゃったよ。悪かった。これからは、風衣瑠が会社辞めてくれたし堂々と付き合える。オレのそばにいて? 嫁とはもう秒読みだっつってんじゃん」 「あー嘘ばっ……」 「離せよ!」  気がつくと、口を尖らせる亜阿斗を押しのけて、俺は、ずいっと前に出ていた。 「月なんかどうでもいい? 彼女にそう言ったのか? 彼女にとって、今日の月が千載一遇のチャンスだってことも分からない奴に、彼氏を名乗る資格なんかないだろ」  俺の中では、今日の月について熱弁し、きらきらした目で月を眺める彼女の横顔が蘇っている。フォロワー300人を抱えるカメラマンだと教えてくれた、得意顔が蘇っている。 「あんだと?」    考える間もなく、不倫男の日に焼けた面が鼻まで迫って、ぐぐぐと胸ぐらをつかまれた。
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