三章、本物の恋人

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「あの、私……」  どう返せばいいのだろうか。なんの言葉も出てこない。私もです、は違うし、私は好みではありませんも違う。早く答えを返したい。でなければ見つめられ続け、確実に酸素不足で倒れそうになるに違いない。けれど糸のように絡み合った視線に捕まり、答えを解くことができずにいる。  どうしよう……何か言わないと……。  ぼうっとする頭をフル回転させて出てきた言葉がこれだった。 「あ、あのっ、うちの会社倒産するんです!」 「え……?」  蒼司の驚きを含んだ声に思わずぎゅっと目を瞑ってしまった。こんなタイミングで言う予定じゃなかったのに、と心の中で後悔する。 「えっと、倒産……知らなかったです。菜那さんの予約をするのにホームページの他のところなんて全く見ていなかったから」 「そ、そうなんです! 業績不振で今日は宇賀谷様だけのご予約なんで張り切って頑張らせていただきますね!」  明らかにしぼんだ蒼司の声にゆっくりと瞼を開けると蒼司と目が合った。寂し気な瞳に思わず息を呑む。 「次の仕事先はもう決まってるんですか?」 「いっ、いえ、まだです。社長が次の就職先も用意してくれるとおっしゃってくれてるんですけど、なにか違うことに挑戦してもいいかなぁっとも思ってるんです」  菜那は苦笑いしながら調理器具を洗い進める。正直、人付き合いにも少し疲れを感じてしまったし、新しい事に挑戦したいって気持ちがあるのは嘘ではない。でも特にコレに挑戦したい、というものがなかった。学生時代特別勉強ができたわけじゃない、運動もそこそこ、歌がうまいとか、絵がうまいとかも一切ないごく平凡な女子高校生。毎日目の前の事に必死で未来を見据えて勉強、なんて考えたこともなかったから。今も何を挑戦したいのか分からない。自分の空っぽさに思わずため息が出そうになった。 「違うところですか……なら」  蒼司にトントンと肩を叩かれ、振り返る。
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