三章、本物の恋人

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「俺のところに来ませんか?」 「へ? 宇賀谷様のところに? 事務員とかですか?」  菜那は首を傾げて蒼司を見た。すると拍子抜けしたように口を小さく開けて顎を触っている。 「あぁ、事務員か。確かにそれもいいかもしれません」  クスクスと笑いながら蒼司はソファーに置いてあったパーカーを取りに行き、着ながら菜那の方へと戻ってくる。 「違いましたか?」  蒼司は「ええ」と頷くと菜那の二の腕をツンと人差し指で突いた。たった指先一本分の面積しか触れていないのに、そこから発火していくような勢いで熱く感じる。 「菜那さんと結婚したいってさりげなく言いました。でも、貴女にはストレートに言わないとやはり駄目ですね」 「けっ……」  結婚――  ぐしゃっと握っていたスポンジを強く握ってしまい、しゅわっと泡が溢れた。 「昔は俺のところに永久就職しませんか、っていうプロポーズもあったみたいですね。まさにそれのような気がします。俺のところに来てから、何か違うことに挑戦するのもありなんじゃないでしょうか?」 「けっ、結婚ってそんな……」  確かに少し前の菜那は早く結婚したいと思っていた。病気で入院している母親の願いを叶えてあげたいと思ったからだ。まだ付き合うかもはっきりと決めていないのに結婚だなんて……。展開の速さに頭と気持ちがついていかない。菜那は泡まみれになった右手を眺めた。しゅわしゅわ消えていく泡を見て妙に寂しい気持ちになる。この泡みたいに次々と自分の周りのものが消えて無くなってしまうのではないかと。  ……宇賀谷様も?
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