最初からBだった

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「今回もライブ、来てくれるよな」 「え」  当たり前のような問いかけに、困惑する。  余り付き合わない方が良い、なんて昔は言われたらしいバンドマン。  それは多分人それぞれだと思うし、自分も彼は良いヤツだと思って一緒に暮らしていた。 「もしかして、何か予定でもあるのか?」 「ううん、なにもないよ。いつだっけ」 「今度の日曜」 「わかった。開けておくよ」 「じゃ、連絡してくるわ」 「うん」  スマホを片手に部屋を出て行くのを見送る。  行く人が一人増えるから、仲間に連絡しているんだろう。  話し声は楽しげで、良く笑い声がする。  それで、せっかくの休みなのに全然戻ってこない。  あいつが好きな冷めたコーヒーの入ったカップが二つ並ぶのをぼんやりと眺める。  僕は好きでも何でもないし、ほんとは紅茶が良かった。 「……ねえ、本当に行く必要ある?」  壁一枚挟んだ向こう側から聞こえる声のが大きく、僕の呟きへの答えはどこにもなかった。  ◆  ライブが終わって、一息ついた所で褒める感想をSNSで呟く。  付き合ってる事はそこでは隠している。  多分バンドにとってマイナスになるし、言っちゃいけないのも分かる。  メンバーには伝えてあるからチケットは用意されるけど、会場で特別扱いはされない。  存在しないはずの存在を、特別扱いなんか出来ないから仕方がない。  居てはいけないような、そんないたたまれなさを感じながら、ライブ後の居酒屋にいる。  裏口から出てきたメンバーと、一緒に一般口からひっそり歩いてきた僕がここにいる。  そこにいるからって言って、何が起こるわけでもない。  ただ、夜ご飯を食べて。  終わるまで、周りが楽しそうにしてるのを眺めるだけ。  それでも良かったはずだった。  会う時間も短いし、少しでも一緒に居たいと思って居た。  でも最近は、この時間がどうしよもなく苦痛に感じ始めていた。  気を遣われるでもなく、当然のようにそこにいる。  別に悪い気はしないんだけど、だからと言って「喋るわけでもない」。 「ねぇ、僕が来る意味あるかな?」  ぼそっ、とジョッキの中に呟くと隣に座っていたメンバーが心配そうにこちらを見ていた。  あ、やばい。気付かれたかもしれない。 「……今、何か言ったかい?」 「ううん、ちょっと疲れたなと思っただけで」 「そう? 少し外の空気でも吸ってくる? 付き合おうか?」 「大丈夫だよ。そっちこそ疲れてるだろうし、楽しみなよ」  大丈夫って何だっけ。  ちゃんと僕笑えてるかな。  そんな風に思いながらジョッキの中身を飲み干していく。  あんまり酔えない体質なのは元々だけど、ここ最近は特に美味しくない。 「あの、オレ帰るけどさ」 「あ、うん。お疲れ様、伝えとくね」 「先に帰っちゃってもいいと思うよ」 「え?」  遠くにいる恋人は楽しげに酒を飲んでいるのを確認して、彼は耳打ちした。 「……最近はあんまり、楽しそうじゃないから」 「気のせいじゃない?」 「今回だけなら疲れてるかなと思うんだけど……」  そこで彼の言葉は遮られた。 「おい、人の男に何してんだ!」 「あ、見つかった。じゃ、オレは先に帰るよ!」 「こら逃げんな!」 「逃げるんじゃなくてもう時間なの!」  咎める割に一歩も近づいてこない。  騒がしい居酒屋の中、絶対に向こうには聞こえないような小さな声で続いた。 「本当に無理しちゃだめだよ」  上着を羽織って荷物を掴むと、別の仕事もしている彼は店を出て行った。  大きな机を囲んでいるから、隣に座っている人はもういない。  盛り上がってる方は楽しそうに酒を飲んでいる。 「そうか。繕えてなかったのか」  新しく注文した梅酒のグラスの中に、また小さく零す。  誰一人僕のことなど気にしていない。  それでいいと思って居たし、そうしてきた。  咎めた割には一人で座ってても何も言って来ないし、視線を向けることも無い。  この男のどこが好きだったんだっけ。  グラスの中の氷が唇に触れる瞬間、別の何かが冷えるような感覚がした。  ここに来るまでに荷物は駅のロッカーに預けてある。  一応財布とスマホが入った小さな鞄みたいなのは持って来てるけど、それだけ。  手持ちを確認するフリをして、財布を取り出す。  その間もやっぱりこっちは誰も見て居なくて、静かに自分が飲んだ分をスマホで計算する。  あと机の上に並ぶ量からどれくらいになるか確認して、手持ちで足りるのが分かると席を立った。 「どこ行くんだ?」  出入り口まで行くと、流石にリーダーが声をかけてきた。  ああ、お前じゃないんだな。  恋人の方を見ても、相変わらず楽しそうに飲んでいた。 「トイレです。僕と連れションでもしますか?」 「いや、今日は良いかな」 「どっかで行く気みたいにいうのやめてくださいよ」 「もしかしたらタイミングが被る日は来るかもしれんからな」 「生理現象ですもんね。じゃ、行ってきます」 「おー」  多分そんな日は来ないですよ、と言いそうだったのは我慢した。  大人数だから、奥まった所に案内されていて良かった。  誰とも顔を合わせずに支払いを済ませて、居酒屋を出る。  酒で火照った身体には、秋の夜は冷たくて気持ちが良かった。  ロッカーまで歩いて行って、荷物を回収して家に帰る。  いつもならサブスクで今日聞いた曲を聞いてたけど、今回は何も聞かない。  夜の街は程々に賑やかだったけど、家が近づくほど静かになった。  住み慣れた家のドアを開けて、荷物を玄関横に置く。  手洗いとうがいだけ済ませると、共用部分の自分の荷物を片づけ始める。  食器は好きなものを使えばいい、っていうスタンスが良かったと思う。  お揃いでも何でもない皿とマグカップの、自分が買ってきた分を部屋に持っていく。  少し前から準備していた新聞と緩衝材でくるんで、段ボールに詰めていく。  配送で届いた荷物を置いて、布で隠していたから見られても分からないだろう。  二人で決めて共同でお金を出したものは、諦めることにした。  多く使ってたのは僕だけど、柄とデザインはそんなに好きな物でもなかった。  そうするとほとんど持っていくものは無いことに気付いた。  自分の部屋の中にあるモノも、自分が好きで買ったものなんてほとんどない。  相手が「こういうのが好きだろう」って持ってきた物ばかりになっていた。  好きだったから幸せだったし、それでよかった。 「ああ、そうか。とっくの昔に……」  力なく笑いながら、どこにいても居場所が無いような気がした原因に気付いてしまった気がする。  スマホを操作して、今まで使っていたSNSのアカウントに鍵をかける。  バンドの事を呟いたり拡散するために始めただけだから、後で消していいかもしれない。  帰っても良いと気にかけてくれた彼と、最後に声かけてくれたリーダーだけを残して他のメンバーとバンドのフォローを外した。 「そういえばこの人達、対して僕との関わりなんかなかったな」  気にかけてくれた人は帰るのがいつも早いからその間だけ相手してくれた。  リーダーは一人で飲んでると時々声かけに来てくれてた。  他の人は、多分あいつが声かけてきて邪魔するからそういう面倒くささを天秤にかけて声かけなくなったんだと思う。  居ても居なくても良いのに、必ず行くのが当たり前になってて。  何でだったのか不思議で仕方ない。  だから僕のSNSアカウントがそうした事にも、多分誰も気付かない。  共同で使っているサブスクリプションサービスを確認してみる。  全部管理を任されてたけど、名義もメールアドレスも僕じゃなかった。  セキュリティ的にはよくないけど、一冊にまとめてあるからそれでも見てくれればいい。  自分が使いたいものは後で登録すればいいのがわかった。  そういえばここも事務手続きとか家事とか全部してたけど、名義もあいつだ。  必要な書類とか、そういう類はまとめてあるので直ぐに見つかった。  食器類含めても思ったより小さなバッグに入れれてしまったので、今すぐにでもこの家を出ようかと思った。 「ただいまー」  ガチャ、とドアが開いたので、荷物を自室に置いて迎えに行く。 「おかえり」 「なんで先に帰ったんだ?」 「ちょっと調子悪くて。季節の変わり目だし」 「そっか。無理させてごめん」  申し訳なさそうに謝られたところで、心の中には別の問いが浮かんでいた。  途中で帰ったのに気づいたのはいつなんだ?  それは口にせずに、いつものように過ごすことにした。 「良いよ。水飲む?」 「あ、飲む!」 「待ってて」  心はこんなにも冷え切っているのに、顔を真っ赤にしてフラフラの恋人に水は渡してしまう。  まだ好きなのかな、自分は。  横顔を眺めながら考えてみても答えは出なかった。  ただ、前ほど見ていてドキドキするとか、そういうものは無かった。 「ありがと」 「うん。今日はもう休むでしょ、疲れてるし」 「ああ、ありがとなー……」  ふらふらしながら、恋人は自分の部屋へと消えていく。  部屋の中のものが少し減ったことになんか気付いてない。 「じゃあ、ばいばい」  ぽつりと呟いて、壁越しに聞こえるいびきを無視して小さな荷物だけ持って家を出た。  近くのビジネスホテルに部屋を取って、スマホの中の連絡先を消していく。  SNSと同じ二人だけは消さずに残した。  もっと感傷に浸るかとおもったけど、部屋と出る時と同じぐらいあっさりと消せた。  ホテルを出て駅へと向かう。  気付いていたのに気付かないふりをしていたんだと思う。  僕以外と居る時間のが長くて、女の子と居る方が楽しそうだったりする。  よく見ていたからそれは知っていたのに、僕は自分の感情に気付いてなかったんだ。  昼頃、SNSアカウントの方に恋人からのフォローリクエストが来ていた。  当然承認も拒否もせずに、呟きもしない。  残した二人が連絡手伝うかも、と少しだけ思ったけどそんなことはなかった。  リーダーからは「困ったら連絡してくれ」。  もう一人からは「元気でね」とだけ連絡がきた。  なんとなく、外す気にはなれないのは向こうも同じなのかもしれない。  返信にスタンプを一つだけ押すと、それ以上のやり取りはないのにそのままだった。  町中で一度だけ二人とも会ったけど、「元気そうで何より!」と安心したように嬉しそうに言われただけだった。  あいつの事は一つも言ってこなかったし、予定があるのか何してるのか聞かれもしなかった。  もしかすると、僕より先に気づいていたのかもしれない。  たまに、地獄の蓋を開けるみたいにしてSNSを開いてあいつの状況を確認する。  というか、残した二人が拡散した情報が表示されるので程々に確認することが出来る。  前はもっと常の呟きもあったのに、ほとんどお知らせだけになった。  写真が少しだけ痩せた気がする。  時々、ポエミーな「誰かに当てたか分からない、誰かを探しているような」呟きが現れてはファンに勘繰られてた。  そういう所が嫌いじゃなかった気がするんだけど、今はもう思い出せない。  誰に向けた物かは僕にはわからないけど、もう関係ない。  活動続けてるんだな、そう思うだけ。  元々在宅だから新しく借りた部屋で静かに暮らしている。  一人の部屋は静かで息苦しいと思って居た。  でも、自分の好きなもので満たされた部屋は過ごしやすいものだった。 「ほんとにもう、別に好きなモノじゃなかったんだな」  一番大事だと思って居たのに、写真も何もかも手放しても何とも思わなかった。  最初から僕がバカだったんじゃないかな、と思う。  バンドマンだから悪い、なんてのはあの二人が違う事を示していた。  当たり前すぎて見つけられない事ってあるんだろうな。  そう思いながら、お気に入りのマグカップで自分の好きな紅茶を淹れた。
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