声は空気に浸透するのだ

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 マルイ、という立て看板が出ている喫茶店の前まで来て久利は辺りを見回す。古びた喫茶店はすりガラスになっており中が丸見えだ。少し覗くとお客はまばらで、高齢そうな男性が1人で切り盛りしている様子が見えた。探している行方不明者はここに一度入ったのかと声を探るが、似たような声はないらしく瓶をいくら振っても聞こえない。立ち止まって喫茶店を覗き続けるわけにもいかないので、久利は訝し気に首を捻りながら仕方なく足を進めた。 『しまった、何号室か聞くの忘れてたなぁ』  その声を拾い、「は?」と久利は顔を上げた。  そこは、依頼者である(すめらぎ)花音(かのん)が住んでいるアパートの前だった。 「ここまで……来ていた?」  呟き、久利は辺りを見回す。  歩いて駅まで5分。確かに、それぐらいの距離だった。背後には、斜め後ろの方に先ほどの喫茶店があるだけであとは様々な住宅がずらりと並んでいるだけ。植木や公園などといったものも道中はなく、細い路地も一切ないほぼ一本道と言える道のりだった。大の男一人連れ去るには車などの運ぶ手段が必要だが、この道は一方通行でありさらに車は進入禁止。住宅街なので騒ぎがあれば誰か気づきそうなものだが丸一日音沙汰なし。なら、気絶させて近くのに連れ去れる力の強い人物、というのが犯人像として浮かび上がってくる。 「犯人は……近所の住民?」 『ちょっと、君。この辺の住人じゃないね?』  久利がぽつりと呟いた刹那、英二じゃない声が耳に入ってきた。  低く、少ししゃがれていて綺麗とは言い難い声。男であることが間違いのない声は、どうやら英二に話しかけているようだった。すぐに英二の声で『いえ、ここの住人の親族です。管理人さんですか?』と聞こえた。久利は証拠と記録として残すため別の瓶の蓋を開け、その声に耳を澄ました。 『はいそうです』 『ああよかった。皇花音の部屋番号を知りませんか?』 『花音さんに御用ですか?』 『はい、用、というか、俺、花音の兄で――』  そこで声は途切れ、重い衝撃が久利の頭を襲った。 「いっつ、うあ!」
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