声は空気に浸透するのだ

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   何とも嫌な気分になりながら、久利はストーカーの声が消えた扉のチャイムを鳴らした。  応答は、ない。  もう一度鳴らし、今度はどんな音も漏らさないように耳を澄ました。  ピンポーン……  応答はない。人が動く気配もない。  部屋の主がいないのは間違いなさそうだった。 『け……て』  と、集中しないと聞こえないような、とても微かな裏の声が部屋の奥から聞こえた。久利は急いで扉に耳をつけた。  カサ……ドン、カサ……  耳がいい久利だからこそ聞こえた微かな音。虫かネズミか、もしくは風の類か何かだろう、と全く気にも留めなさそうな、本当に微かな音だった。だが、久利にはわかる。  これは、生きている命の音だと。  久利はスマホを取り出すと素早くメッセージを打った。 <ビンゴ。花音ちゃんの部屋の下>  上司のアドレスに送信し、スマホをポケットに突っ込むと「うし」と気合を入れて一歩下がった。  探偵は力技もいる。  そう上司に教わり、久利は体を鍛えていた。  とくに、長い脚技が自慢だ。 「せい!」  勢いをつけて扉を蹴りつける。  鉄製の扉ではあるが、古いアパートのため留め具が錆てもろかったようで、久利の鋭い蹴りに耐え切れず扉は部屋の中へと吹き飛んだ。それだけのことをすれば流石に大きな音が出るので、なんだなんだ? と隣の部屋や、近所の家の窓から人が顔を出した。こういった注目を浴びるのも職業柄慣れている久利は「すんませーん、壊れちゃったみたいで! 管理人さん呼んでもらえます?」とへらっと笑って隣から顔を出したおばさんに声をかけた。声をかけられたおばさんは部屋から出てくると久利の立っている部屋を覗き「あらまぁ大変! すぐに呼んでくるわ!」と慌ただしくその場を離れていった。  その様子に、ああなんだ事件とかじゃないのか、と察したらしい人達はすぐに顔を引っ込め、野次馬はあっという間にいなくなった。こんな近くで誘拐があっても気が付かない住人たちだ。恐らく近所の人に興味関心がほぼないのだろう。もしくは面倒ごとに巻き込まれないよう極力関わらないように注意を払っているか、だ。 「さて」  もしかしたら、住人じゃないことがバレて騒ぎになることも危惧していたが、興味のなさそうな声しかなかったのでやはりここの住人はあまり近所に認識されていないようだ。  ――非常に、好都合だ
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