ツチノコの発見

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「おい、今日どこ行く?」 「決まってるだろ。いつもの場所だよ」 「あーおっけーじゃあまた4時に駅集合な」 都会で駅近の大学ならではの会話である。学食は今の時間は生徒で溢れ帰っているちょうど昼の中休みだ。 僕は、そんな混雑時は決まって、窓際の一人席を選ぶ。一番窓際の隅の席は誰も座らないのだ。それもそのはず、この席は外の入口近くで虫などがよく入ってきやすい。そして隅には蜘蛛の巣が張っているからだ。虫嫌いの並大抵の人間はここを避けるだろう。しかし僕は虫が嫌いじゃない。むしろGも手でいけるタイプだ。 しかして、やはり中央の人数席は声がでかい。学食は大勢の学生の声でガヤガヤとしているが、一番近い人数席の会話は嫌でも聞こえてくる。そんな奴らの会話はいつも決まって、恋人がどうとかどこへ遊びに行くだとか浮かれたくだらない俗話ばっかりだ。 だが、僕も少しはそいつらを少し羨ましいと思う。なんの憂いもなく、一時の感情で物事を楽しめるということが。それを共有できることが。僕にはそんな友達もいなかったからだ。 僕は、家に帰ると、もう6時でテレビには午後のニュースが流れていた。そのニュースはローカル局のニュース番組で、地元でロト6等の宝くじを当選した人へのインタビューが流れていた。 「いやぁ、今でもまだあのあった時のことを思い出して震えますよ。本当に最高です」 興奮して目を輝かせる人間を見て、僕もこんなふうになりたいなと思った。何かを手に入れたい。そして、時の人になるくらいの刺激的な日常が欲しい。でも、そうなるように僕は行動をしていなかった。いつも受け身で、ただのんべんだらりと慣れ親しんだ娯楽で、一時の快楽を得ているだけだった。僕の娯楽のルーティンは、家に帰って、ソシャゲーをするか、ニコニコ動画でアニメを見るか、YouTubeで実況動画を見るかくらいだ。あとはSNSで、界隈が共通するネット民と5ちゃんねるなどのネット掲示板で話すくらいか。完全インドア娯楽である。僕が外に出るとすれば、マニアショップ及び、アニメキャラなどのグッズがあるオタクショップに行くことくらいだ。そういえば一週間前、オタクショップで美少女フィギュアの入った四角い大きな箱を何個も抱えながら走ってきたオタクと衝突したことを思い出した。今思い出しても腹が立つ。僕がアニメグッズを漁っている時に、視界外から衝撃が伝わってきた。完全相手からぶつかって来たのにも関わらず謝りも無しで、そのまま当たり屋のように通りすぎて行ったが、倒れて落としたフィギュアを集めている姿を、顔を僕は覚えていた。僕はこういうキモイオタクが嫌いだ。僕に友達が出来るとしたらオタクの様な自分でも見下せる人間くらいだろうが、オタクには関わりたくない。今の時代、人と関わらなくてもやっていけるのである。アニメにせよ実況動画にせよ。それを見ながら独りごちて突っ込んだり、コメントしたりすればそれで満たされるから、わざわざ生身で関わる必要も無いのである。今は娯楽を簡単に享受し、そしネットで簡単に人と関わった気分になれる。その時代背景が、僕の変わりたいという行動を抑制しているに違いなかった。
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