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第三十四話 殺して、逃げ出して
暗い、建設中の建物の中。美咲が七瀬を誘い出した場所。
美咲は鞄の中からメモを取り出し、七瀬に渡した。
メモに書かれているのは、洋平が殺された日の美咲の行動。分単位の時系列で細かく書かれている。夜の暗がりでは、その文字は非常に見にくいが。
もちろん、メモに書かれている美咲の行動は、全て嘘だ。
洋平が殺された日。美咲は、授業が終わるとすぐに帰宅した。洋平に「帰ろう」と声を掛けたが、断られたのだ。
「よく分からないけど先生に呼ばれたから、先に帰っててくれ」
洋平はそう言っていた。今にして思えば、洋平を呼び出したのは、先生でなく五味だったのだ。
あの日、洋平は五味に呼び出された。美咲のことで話をつけるべく、五味の呼び出しに応じた。その結果、殺された。
「あんた、あの日、学校には来てた?」
「ああ。サボってない。授業が終わった後に五味君が教室に来て、村田を呼び出す話を聞いたんだ」
七瀬は、意外なほど正確に洋平を殺した日のことを覚えていた。
「五味君に言われたんだ。夜の八時に村田を呼び出したから、その時間に集合しろ、って」
夜の八時。洋平からのメールが届いた時間。その時間に、洋平は、殺害現場であるマンションの建設地に呼び出されていた。
「俺は一旦家に帰って、着替えて、適当な店で時間を潰して、集合場所に行ったんだ。着いたのは、たぶん七時四十五分くらいだったと思う」
七瀬が現場に着いたとき、他の三人はすでに来ていたという。
「村田が来たのは、たぶん、八時五分前くらいだったと思う」
「――ということは、下校してから建設現場に行くまで、あんたは一人で行動してたわけね?」
「ああ」
「じゃあ、あんたのアリバイを証明する奴は、誰もいないってことだね?」
「何だ? 何かまずいのか?」
怯えた様子で、七瀬が聞いてきた。
――こいつ、記憶力はいいけど、頭の回転は絶望的に悪いんだ。
胸中で毒突きつつ、美咲は、自信に満ちた顔を七瀬に向けた。
「全然。むしろ逆。あの日は、私と一緒にいたことにするんだから。あんたのアリバイを証明できる人がいない方が、都合がいい」
「そうか」
七瀬はホッと息をついた。
「いい? あの日は、私があんたを呼び出したことにするの。放課後に、相談があるから呼んだ、ってことに」
「あ……ああ」
「あんたが私に相談されたのは、五味のことについて。五味は、私を口説いてた。でも私は、五味が他の女とも関係があることを知ってるから、本気とは思えなかった。だから、五味がどれだけ本気か探るために、あんたに相談を持ちかけた。そういうことにするの」
「わかった」
「細かい話の内容までははっきりと覚えていない、ってことで通していいと思う。二ヶ月以上も前のことを鮮明に覚えてる方が不自然だから」
「そうだな」
七瀬は、美咲の話にひたすら納得していた。否定する気配すらない。
完全に、七瀬をコントロールできている。美咲はそう確信した。
七瀬に指示した内容について、美咲は、意図的に、若干の矛盾点を設けた。
二ヶ月以上も前のことだから、会話の内容ははっきり覚えていない。それなのに、行った場所や時間帯は分単位で覚えている。この設定は、どう考えても不自然だ。
本来なら、設定の矛盾点を指摘すべきところだ。自分の保身を何としても図りたい七瀬であれば、なおさら。
しかし彼は、美咲が話した設定に、何ら反論してこない。
「凄いな、お前。こんなに細かく考えて。天才かよ」
挙げ句の果てには、そんなことまで言い出した。
自分より立場の強い者に媚び、従い、その庇護のもとで生きる。そんな七瀬にとって、美咲は、媚びてお世辞を言う相手であっても、互いに意見を言い合う対象ではないのだ。
強い者の指示には無条件に従い、守られて、楽に生きる。そのためなら、他人の命すら簡単に奪える。そんな男。
七瀬を殺すのに、美咲は、何の躊躇いもなかった。
躊躇いはないが、同時に、五味を殺したときほどの殺意や高揚感もなかった。六田を殺したときと同様に。
それでも殺す。迷いなく、美咲は決断していた。こいつら四人を全員殺せば、きっと楽になれるから。この胸の痛みも苦しみも、なくなるはずだから。
――だって、こいつ等のせいで、こんなに苦しいんだから。
七瀬は、美咲に渡されたメモをじっくりと見ている。スマートフォンの画面で照らして、わずかな光を頼りに。美咲の指示通り、メモを見なくても暗唱できるレベルで記憶しようとしている。
美咲は右手を鞄に入れ、スタンガンを握った。
七瀬は、もう、美咲を信じ切っている。美咲の言うことには、おとなしく従う。それならば、こんな古典的な手にも引っ掛かるはずだ。そう判断し、美咲は彼に声を掛けた。
「あれ? あんた、ちょっと……」
「ん? 何だ?」
「ちょっと、それ……背中見せて」
「?」
七瀬が美咲に背を向けた。美咲に言われた通りに。
美咲は鞄からスタンガンを取り出し、スイッチを押して七瀬の背中に押し当てた。
バチバチッ
青白い火花と同時に、嫌な音が美咲の耳に届いた。自分の体で試したから、よく分かる。スタンガンがどれほど痛く、どのように体の自由を奪うのか。
「──!?」
スタンガンを押し当てられた七瀬は、ビクンッと体を震わせた。体の自由が奪われ、ゆっくりとうつ伏せに倒れた。
気絶はしていない。
ドラマや漫画と違い、実際のスタンガンは、気絶するほどの電流は流れない。電流を流すことにより体の電解質の動きを阻害し、行動不能にするのみだ。体の動きを封じる効果は、おおよそ数分程度。多少動けるようになるまで、十分程度。
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