第三十五話 足音が、耳元に触れた

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第三十五話 足音が、耳元に触れた

 美咲が七瀬を殺してから三日後。一月三十日。  美咲はいつも通りに起床し、いつも通りに学校に行く準備をし、いつも通りに家を出た。いつも通りに学校に着き、いつも通りに教室に向かった。  五味を殺した翌日から、美咲は、欠かすことなく朝のニュースを見ていた。自分は殺人犯で、警察に追われる身だ。だからこそ、事件のニュースには必ず目を通し、警察への対策を練る必要があった。  毎朝見ている、朝のニュース。そこに、七瀬の死体が発見されたという報道は、一切なかった。  現実的に考えて、七瀬の死体が発見されていないはずがない。死体を隠すことなく、現場に放置してきたのだから。  それなのにニュースで報道されないということは、報道規制が掛かっているからだろう。  報道規制が掛かっている理由は、美咲には分からない。もちろん、ある程度は想像できる。しかし、中途半端な仮説を事実として行動すると、この先の行動を阻害する可能性がある。  残る標的はあと一人だ。八戸四郎。あいつを殺せば、全てが終わる。できるだけ早く行動したい。警察が、自分の尻尾を掴む前に。  問題なく八戸殺しに着手するため、美咲は、普段と変わらぬ行動を徹底した。自分は、七瀬が殺されたことなんて知らない。彼のことを気にも留めていない。そんな、無関係な第三者の行動。  無関心を装いながら、八戸殺しの計画を立てていた。  だが、美咲は、自分の行動に大きな失敗があることに気付いた。  七瀬を殺した日。美咲は彼に電話を架けた。彼のスマートフォンには、美咲との通話履歴が残っているはずだ。そのスマートフォンを回収していなかった。  警察は間違いなく、彼のスマートフォンの中身を確認しているだろう。  刑事は、美咲が七瀬に連絡したことを突き止めているはずだ。七瀬が、美咲との通話履歴を削除していなければ。  美咲は七瀬に、チャットの履歴は削除するように指示していた。彼は逮捕されることに相当怯えていたから、間違いなく指示に従っているはずだ。  でも、通話履歴を削除する指示は出していなかった。  七瀬は、美咲との通話履歴を削除しただろうか。  ――たぶん。ううん。間違いなくしてない。  確信を持って断言できた。美咲は、決して多くない七瀬との対応から、彼のことが概ね分かっていた。意外に記憶力はいいが、頭の回転は鈍い。通話履歴から美咲とのやり取りが警察に知られるなんて、考えなかっただろう。  教室に着いた。美咲はいつも通り、自分の席についた。  担任が入ってきて、朝のホームルームが始まった。  ホームルームで、担任から、今日の授業は全て中止になることが告げられた。これから全校集会を行なうので、体育館に行くように指示された。  教室内がザワついた。担任の発言に、クラスメイト達が疑問を抱いているのだ。  この教室内で担任の発言に疑問を抱いていないのは、二人だけ。一人は、全校集会を行なうと伝えた担任。  もう一人は、当然、美咲自身。  七瀬の死体が発見されたと、全校集会で告げられる。美咲はそう確信していた。五味のときは集会後に教室で知らされたが、今回は違うだろう。今日の授業が全て中止になるのであれば、すぐに、刑事の聞き込み捜査が行なわれるはずだ。だとしたら、全校集会で周知されると考えるのが妥当だろう。  五味殺害のときと同じように、美咲は、刑事に話す内容を頭の中で組み立てた。  担任の指示で、体育館に向かう。  歩きながら、美咲は、考えを整理し、まとめていった。  七瀬は、美咲との通話履歴を削除していないはずだ。つまり、刑事は、美咲が七瀬に電話を架けたことを知っている。それならば、七瀬に電話を架けた理由を聞かれるはずだ。  仮に、刑事に通話履歴のことを聞かれなかったらどうするか。不自然にならないように、自分から、七瀬と話したことを伝えよう。  電話を架けた理由は、洋平の居場所を聞き出すため。筋が通った理由だと言える。美咲は刑事に「洋平について聞き出すために五味と付き合った」と話した。五味が殺され、六田とも連絡が取れない。だから七瀬に聞いたと言えば、不自然ではないはずだ。  体育館に全校生徒が集合すると、思った通り、七瀬が死体で発見されたことが告げられた。  校長が長い話を始める頃には、美咲の頭の中で、刑事に話すシナリオができあがっていた。  校長は、五味殺害のときと同様に、刑事の捜査に協力してほしいと口にした。授業を中止し、一人一人に聞き込みを行なう、と。その後、死体で発見された二人について語り始めた。 「五味秀一君も七瀬三春君も、明るく、優しく、誰からも親しまれる生徒でした」  お手本のような綺麗事。 「なぜ、そんな二人が殺されなければならなかったのか。なぜ、二人の明るい未来が、奪われなければならなかったのか。残念でなりません」  校長は、七瀬の人柄など知らないだろう。五味については知っていたはずだ。彼には、傷害での補導歴がある。事件が示談になっていても、学校側には報告される。校長が口にした「誰からも親しまれる生徒」などではないことは、明らかだ。  それでも綺麗事を口にするのは、単純に体裁のためだ。死んだ生徒を悪しきに語れば、自分や学校の評判が落ちる。それを避けるための綺麗事。  美咲は、皮肉にも似た呆れの気持ちを抱いた。  ――五味と七瀬が、誰からも親しまれる生徒? あんな奴等に、明るい未来?  もし、美咲の表情が豊かだったなら。口の端を上げて、鼻で笑ってしまっただろう。  あの二人がそんな素晴しい人物なら、洋平はどうなるのか。本当に誰からも親しまれる生徒で、本当に明るい未来があるはずだった、洋平は。神様とでも表現されるのだろうか。 『優しくて、愛情深くて、真面目で、努力家で。まるで神様のような生徒でした』  校長が口にすべき、洋平を表現する言葉。  ――神様? ううん。違う。  美咲は、すぐにそれを否定した。  洋平は、神様なんかじゃない。ただの人間。ただの、一人の男の人。  ――ただの、私にとって何より大切な人。ただの、私が世界一大好きな人。  胸が痛い。苦しい。息が詰まるようだ。意図せず、何度も胸中で繰り返した。洋平。洋平。洋平。洋平。  いつの間にか校長の綺麗事は終わり、一年から順に教室に戻るよう指示された。  美咲の胸が、チクチクと痛んだ。教室に戻ってから聞き込み捜査の順番を待っている間も、ずっと痛み続けた。  聞き込みを行なう形式や順番、場所は、五味の死体発見時と同じだった。  聞き込みを行なう数学準備室に美咲が呼ばれたのは、午前十時になる少し前だった。五味のときよりも、順番が回ってくる時間が早かった。きっと、七瀬は五味ほど有名ではないからだろう。生徒が、刑事に話す内容が少ない。  教室から出た美咲は、数学準備室に足を運んだ。部屋の前に立ち、ドアをノックする。  コン、コン。 「どうぞ」  数学準備室の中から、ノックに対する声が返ってきた。綺麗な、聞き心地のよい声だった。この声には聞き覚えがある。五味のときに聞き込みを行なっていた、女性刑事の声だ。 「失礼します」  美咲はドアを開けた。  数学準備室にいたのは、やはり、五味のときと同じ刑事だった。  美咲は、数学準備室の中央まで足を運んだ。以前と同様に、椅子と机が用意されている。女性の刑事――原さくらに、椅子を勧められた。 「どうぞ、お座りください」 「はい。失礼します」  美咲は椅子に座った。 「改めて、よろしくお願いいたします。私達のことは覚えていますか?」  さくらは、事件とは無関係の質問から口にした。 「はい。確か、前原正義さんと、原さくらさん――で、よろしいでしょうか?」 「仰る通りです。覚えていてくださって、ありがとうございます」 「凄く綺麗な声の方だと思っていたので、よく覚えています」 「ありがとうございます」  さくらは少しだけ笑った。美咲の言葉を、お世辞と捉えているのか。あるいは、素直に受け止めているのか。彼女の様子からは伺えない。
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