第三十六話 暗闇の中の終幕

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「笹森美咲さんですね?」  前原は、知っているはずのことを聞いてきた。逮捕するときは、本人確認をしなければならないという決まりでもあるのだろうか。 「見ての通りです」  当たり前だというように、美咲は答えた。  前原は、一枚の書面を提示してきた。逮捕令状。  逮捕するときは、本当に、逮捕令状を提示するんだ。ドラマみたいだな。美咲は、まるで他人事のように逮捕令状を見つめていた。 「七瀬三春殺害の容疑で、あなたを逮捕します」  令状が出ているのは、七瀬の件だけなんだ。五味や六田の件は、まだ完全には調べ切れていないんだろうな。  捜査状況を推測しながら、美咲は、降参の意思を示すように両手を上げた。抵抗する気などなかった。抵抗しても無駄だと分かってもいた。屈強の刑事七人を相手に、どうにかできるはずがない。 「抵抗も反論もしませんよ。ただ、必要であればお茶でも入れるんで、少しだけ聞かせていただいてもいいですか?」 「……答えられる範囲であれば」  前原が答えると、後ろにいた刑事の一人が、彼の肩を掴んだ。 「おい、前原」  前原は、見るからに苦しそうな表情になっていた。美咲の逮捕について、心苦しいところがあるのだろう。心中が透けて見えるようだ。  ――こういうところ、本当に洋平に似てるな。  美咲の心に浮かぶ、大好きな人。 「後ろの刑事さん達が不服そうなんで、なんなら、手錠を架けてからでもいいですよ」  美咲は、前原に対して両手を差し出した。  彼は、泣きそうな顔になっていた。 「……何が聞きたいのか、言ってくれないか。答えられる範囲であれば、答えるから」  前原は、美咲に手錠を架けなかった。  美咲は小さく息をついた。前原の顔を見て、質問したい内容が変わった。本当は、美咲が犯人だと断定した根拠を聞くつもりだった。けれどそれは、もうどうでもよくなっていた。  前原の表情を見て、気付いたこと。彼が何に心を痛めているのか、容易に想像できた。 「洋平のこと、分かったんですか?」  簡潔に聞いてみた。美咲が殺人に手を染めた理由が、分かったのか。だから前原は、こんな表情をしているのか。  前原は目を細めた。涙を堪えているような顔。先ほどから、彼の態度が全てを物語っている。それでも彼は、律儀に答えてくれた。 「八戸四郎が、全て吐いた」  前原の回答から、美咲は全てを理解した。先ほどの電話のときに、八戸が応答するまで時間がかかった理由。彼の対応が、どこか上の空だった理由。  八戸は、今、自宅にはいない。呼び出したマンションの建設地にも向かっていない。彼は今、警察署にいるのだ。刑事の監視のもとで、美咲の電話を受けたのだ。 「どうして八戸を捕まえたんですか? 洋平を殺した証拠でも出てきたんですか?」  前原は首を横に振った。 「八戸四郎が、自分で出頭して来たんだ。次は自分が殺される、と言って」 「ああ。そっか」  美咲は、五味達と開いた集まりのことを思い出した。  あのとき、美咲は、五味以外の三人を観察していた。殺す順番を決めるために。そのときに、八戸に対して、こんな印象を抱いた。 『自分より強い者に逆らえず、抵抗する考えすら持てない小心者。強い者の言いなりになることでしか生きられない臆病者』  八戸は考えたはずだ。五味が殺され、六田が行方不明になり、七瀬の死体が発見されたときに。三人に共通するのは、洋平の殺害に関与したこと。そう考えれば六田はもう殺されているだろうし、次に殺されるのは自分だ。  だから、強い者に守られる選択をした。警察という国家機関に守ってもらうため、自首した。  八戸を殺すのはそう難しくない。そう、美咲は思っていた。殺人の計画を立てたときとは違って。けれど、間違っていた。当初考えていたことの方が正しかった。 『むしろ、臆病なぶんだけ警戒心の強い彼が、一番殺しにくいかも知れない』  臆病で小心者だからこそ、殺す側の美咲にとっては反則とも言える行動を取った。人殺しに加担したくせに、警察に守ってもらおうだなんて。  思わず、溜め息が出た。美咲は、手にした鞄を前原に差し出した。 「ここに、ナイフとスタンガンが入ってます。五味と六田、七瀬を殺したときに使った道具です」  前原とさくら以外の刑事が、驚いた顔になった。美咲が、令状が出ていない犯行まであっさり自白したせいだろう。 「七瀬を殺したロープはもう処分しちゃったんで、ここにはないですけど」  前原は、美咲から鞄を受け取った。彼の手は震えていた。 「まだ色々と聞きたいことはありますけど、後ろの刑事さん達が恐い顔をしてるんで、もういいです。あとは警察の方で聞きますから」  前原は、顔をクシャクシャに歪めていた。まるで、泣き出す直前の小さな子供のようだった。 「俺からも、一つ聞いていいかな?」 「ここでですか?」  美咲は、作り笑いを浮かべた。少し皮肉気な笑みを作ったつもりだった。 「私は構いませんけど、他の刑事さん達が睨んでますよ? 原さんは、なんか少し雰囲気が違いますけど」  さくらは、前原ほどではないが、やり切れない表情を見せていた。それでも、前原ほど感情に任せた発言はしない。自分の仕事に対する責任感からだろうか。  前原は、自分に向けられる他の刑事達の視線に、気付いているだろう。それでも構わず、彼は口を開いた。 「俺は、村田洋平君じゃない。だから、彼の気持ちは分からない」 「おい! 前原!」  再度、後ろの刑事が前原の肩を掴んだ。彼は、その手を振り払った。  前原は泣かない。健気な子供のように涙を堪えている。 「俺には、殺されたときの村田洋平君の気持ちは分からない。だから、笹森さんが仇を討つことなんて望んでないとか、そんなことをしても喜ばないとか――村田洋平君の代弁なんてできない」  前原は、ドラマなどで出てきそうなセリフを、真っ先に比定した。肩が震えている。涙声になっている。それでも泣かない。  ――前原さんは、分かってくれてるんだ。  美咲は、前原のことを好意的に解釈した。  前原は、この件で誰が一番苦しくて、誰が一番悲しいか、分かっている。一番苦しくて一番悲しい人が泣かないから――()()()()から、自分も涙を堪えている。   「――だから俺は、君自身に聞きたい」 「私に、何を聞きたいんですか?」  前原は天井を見上げた。涙を堪え切れなくなりそうだから、流れ落ちないようにしている。本当に、気持ちが分かりやすい。  上を向いたまま、前原は鼻をすすった。大きく息を吐いて、美咲を見つめた。 「もし、今、村田洋平君に会えるとしたら、君はどんな顔をして彼に会うんだ? 彼に何て言うんだ?」  洋平がいなくなって、悲しい。苦しい。寂しい。辛い。  洋平に会いたい。会って、話したい。触れ合いたい。抱きつきたい。一緒にいたい。大好きだと伝えたい。  それは、美咲が抱え続けていた気持ちだった。もしかしたら、無意識のうちに口にしてしまったこともあるかも知れない。  けれど、それは叶わない。  叶わなくてもいい。  もう、過去形の気持ちだから。  美咲の目頭が熱くなった。涙が流れ落ちそうになった。それでも、涙は流さなかった。 「死んだ人間に会うなんて、死後の世界が本当にあるみたいな話ですね。それなら、天国とか地獄も、本当にあるんでしょうか?」  前原からの返答はない。ただじっと、美咲を見つめている。  美咲は、先ほど考えていたことを、そのまま口にした。 『もしも、死後の世界なんてものがあるのなら』 「私は、洋平には会えないですよ」  洋平は優しく、努力家で、真面目だった。五味や六田のように妬みから嫌う奴はいたが、そういった人物以外からは、誰からも慕われていた。  そんな洋平に比べて、自分は人殺しだ。一人殺し損ねたとはいえ、三人も殺した。 「洋平は間違いなく天国に行く。でも、私は地獄行き。会えるはずがないし、会いたくない」  五味や六田を殺すために、彼等と寝た。両手は、彼等の血で染まっている。罪にまみれている。 「今の私を見せたくないんです」  大好きだから会いたくて。大好きだから、会いたくない。 「どうして、そこまでして……」 「私は、ただ許せなかったんです。私から、洋平を奪ったことを。洋平を守れなかったことを。洋平は、私にとっての全てでしたから」  目尻が重い。涙が溢れかけている。それでも美咲は、泣かなかった。  洋平の復讐をすることは、自分でした選択。  洋平に二度と会えなくなるようなことをしたのも。彼に見られたくないと思うようなことをしたのも。全て、自分の選択。  だから、絶対に泣かない。 「前原さん。そろそろ行きましょうか。あとは警察の方で話しましょう」  美咲は再び、前原の方へ両手を差し出した。  手錠の感触は、冷たかった。  
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