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第三十七話 闇が晴れて、思い出す
逮捕された美咲は、まず、刑事から取り調べを受けた。
全てを諦めている美咲は、嘘偽りなく事実を述べた。五味達三人の殺害の動機。殺害の手順。そこに至るまでの経緯や手法まで。
ドラマのように恫喝してくる刑事は、一人もいなかった。むしろ、全員が親切で同情的だと感じた。五味達に洋平が殺されたことを、知っているからだろう。
前原とさくらは、美咲の話を聞きながら、時折泣きそうな顔になることがあった。
五味や六田を殺すために、彼等と寝たことも話した。
「痛かったなぁ、あれは。初めてが凄く痛いって、本当なんですね」
自虐的な美咲の言葉を聞いたとき、前原は目頭を強く押さえ、さくらは声を詰まらせていた。
美咲が犯人だと断定した理由も知れた。七瀬の死亡を確認するために、彼の背中に耳を当てた。心音の確認。そのときに、彼の背中に、美咲の耳の跡が付いた。その跡で、美咲が犯人だと断定したらしい。耳の指紋のようなものだという。
犯人特定の理由を聞いたとき、美咲は、数学準備室での聞き込みを思い出した。あの時、前原に、耳元を触られた。あれは、綿埃が付いていたのではない。美咲の耳の跡を採取するのが目的だったのだ。だから、薄いゴム手袋を着けていた。
耳の跡による個人特定の制度は、九九・六パーセントにもなるという。
逮捕後の美咲の心情は、常に穏やかだった。もちろん、洋平を失った悲しみや苦しみが消えたわけではない。ただ、自分にできることは全てやった。洋平の仇である五味を、絶望の底に叩き落として殺せた。
悔いはなかった。この世界に、洋平はもういない。彼の仇も討った。だから、生きる目的はない。生きる意味も感じられない。この世に、執着も未練もない。死んでもいい。
自分には何もないと思っているからこその、穏やかさ。
逮捕された二日後には、検察から取り調べを受けた。
ここでも美咲は、一切の嘘偽りなく、事実を話した。検察官の取り調べは、刑事のそれよりも機械的だと感じた。あくまで美咲の主観だが。
それから、美咲の勾留生活が始まった。
留置所は、想像以上に快適と言えた。ある程度の取り調べがあり、午前七時起床で午後九時就寝。食事の時間以外は、比較的自由だった。外で生活するよりも健康的とさえ言えた。
美咲に面会が来たのは、勾留生活が始まって三日目のことだった。
面会は両手を拘束して行なわれ、必ず係員が立ち会う。逃亡や証拠隠滅を防ぐためだ。
面会時間は三十分。
ドラマで見るような、穴の空いた透明なアクリル板を挟んで行われた。
面会に来たのは、咲子と洋子だった。
咲子は、両手を拘束されている美咲を見た途端に、泣き出した。涙を流しながら鼻をすすって、面会用の椅子に腰を下ろしていた。
咲子は、精神的に強い人ではない。暴力を振るう夫から逃げるように別れた。何かに怯えているような様子を、しばしば見せていた。でも、強くあろうとしていた。立派で強い母親になろうとしていた。
そんな咲子が、人目も憚らずに泣いていた。
一緒に来た洋子は、骨壺を抱えていた。大切そうに。愛おしむように。それが誰の遺骨なのか、聞くまでもなかった。八戸の証言から、遺体が発見されたのだろう。
美咲は、自分が悪いことをしたとは思っていない。これから先、反省や更生を促されるのだろう。でも、何を反省すればいいのか、どう更生すればいいのか分からない。殺した男達は、死んで当然の奴等だと思っていた。洋平を殺した報いは受けるべきだ。その命をもって。
しかし、これから咲子の身に降りかかる苦難を考えると、彼女には悪いことをしたと思えた。では、他にどうすればよかったのかと聞かれれば、答えることはできないが。
「ごめんね、お母さん」
面会の席で、美咲は、第一声で咲子に謝罪した。
咲子は首を横に振った。泣きながら、必死に言葉を紡いでいた。
「……体調は悪くない? ご飯は、ちゃんと食べれてる? 夜は、ちゃんと眠れてる?」
「うん」
出された食事は口にしている。睡眠も取れている。死んでもいいと思っているのに、体は健康になってゆく。皮肉としか言い様がない。
「おばさん。それ、洋平?」
分かり切っていることを、洋子に聞いた。彼女は泣いてこそいなかったが、顔には、疲労の色が濃く出ている。それでも、洋平の行方が分からなかった頃よりは、血色がいいように見えた。
美咲の問いに頷いて、洋子は、優しく洋平の骨壺を撫でた。
「もともとそんなに大柄な子じゃなかったけど、小さくなっちゃったでしょう? この子ね、美咲ちゃんのことが大好きだったから。だから、連れて来たの」
「……」
何かが、美咲の胸に刺さった。チクリと痛んだ。それが何かは、分からなかった。
「ごめんね、お母さん、おばさん。私、かなり迷惑かけてるよね?」
再度、美咲は謝罪した。きっと、この事件は大きなニュースになっているだろう。女子高生による復讐殺人。赤の他人の好奇心を満たすために、マスコミが押し寄せているだろう。
咲子は涙をゴシゴシと拭き取ると、真っ赤な目を美咲に向けた。
「謝らないといけないのは、私の方なの。今日は、謝りに来たの。私も、洋ちゃんも」
「?」
美咲は首を傾げた。
咲子は、自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた。ゆっくりと、深く頭を下げた。実の娘に対するものとは思えないほど、畏まった姿勢で。
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