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プロローグ
「俺は、もう死んでるんだ」
そう理解するのに、どれくらい時間が掛かっただろうか。
ゆっくりと、意識が戻ってからこれまでのことを思い出してみた。
――気が付くと、辺りは真っ暗だった。何も見えない。何も聞こえない。
とはいえ、一筋の光も射さない暗闇にいるわけではない。夜ではあるが、空は晴れている。月も星も姿を見せている。
冬になると厳しい寒さを迎える、北海道の大都市。十一月初旬の今でさえ、首都圏の真冬並の気温だ。緩やかだが、冷たい風が吹いている。
その寒さも風の冷たさも、今は感じない。自分は確かに、外にいるのに。月明かりや星明りのもとで、風に吹かれているはずなのに。
――どういうことだ？
村田洋平は首を傾げそうになった。だが、できなかった。体が動かない――というより、体の感覚がまったくない。体自体が存在していないかのように。
以前、幼馴染み兼恋人である笹森美咲に言われたことを、洋平は思い出した。
「気持ちが表情に出やすいから、嘘がつけないんだよね、洋平って」
あれは、美咲に告白したときのことだった。
ずっと昔から、美咲のことが好きだった。けれど、どんなことがあっても彼女を守れるという自信がないから、告白できなかった。
ようやく告白できたのは、中学三年のときだった。自信がついたキッカケは、ボクシング。中学一年の頃から始めた。中学三年のときに、U-15という高校生未満の大会で、全国二位になれた。美咲を守れるという自信がついたから、告白した。
美咲は、洋平の告白に頷いてくれた。同時に、洋平の表情について指摘した。
「洋平って、顔や行動に気持ちが出やすいんだよね」
だから、洋平の気持ちにはずっと気付いていた、と。
美咲に指摘された表情も体も、今は動かせない。体の感覚がまったくない。
自分は、どうしてこんな状態になっているのか。洋平は記憶を辿って、今の自分の状況を考えてみた。
直後に、不快な気分に襲われた。
五味秀一とその取り巻き三人から、凄まじい暴行を受けた。いや、実際に暴行を加えていたのは、五味ともう一人だけだっただろうか。若干、記憶が曖昧だった。はっきりと覚えているのは、彼等の暴行が、あまりに凄惨だったことだ。特に五味の暴行は、暴行に加わっていない二人が眉をひそめるほどだった。
では、自分は、その暴行が原因で大怪我でもしたのだろうか。中枢神経や脳が損傷して、五感を失ってしまうほどの。
五感を失ったのであれば、寒さを感じないのも、何も見えないのも説明がつく。耳が聞こえないのも体を動かせないのも説明がつく。決して納得したくはないが。
しかし、説明できないこともある。どうして、空が晴れていることが分かるのか。どうして、月や星が出ていると分るのか。どうして、冷たい風が吹いていると分かるのか。
見えない。聞こえない。何も感じることができない。それなのに、状況が分かる。はっきりと形になるものが見えていなくても。1+1が2になると分かるレベルで、はっきりと理解できる。
洋平は周囲を見回した。見えはしない。自分がどんな場所にいるのか、分かるだけだ。
建設現場。鉄骨で固定された、白い幕で囲まれている。周囲を囲む少し汚れた幕は、あまり高くない。二メートルほど、といったところか。幕に囲まれた内側で、建物の土台になる部分が掘り起こされている。一・五メートルほどの深さで掘り起こされた、建物の土台部分。
土台の広さから考えて、ここに建つのはマンションだろう。
空が見えるのは、天井には幕が張られていないからだ。周囲の幕の隙間から、冷たい風が吹き込んでいる。
夜の、作業員が誰もいない建設現場。星明りや月明かり、近くにある街灯に照らされている。暗いが、周囲を見渡せる程度には明るい。
建物の土台を作るため、掘り起こされた部分。その中央あたりに、さらに掘り起こされたような跡があった。掘り起こされた後に、再び埋められたような跡。
理解したくない現実が、洋平の思考を満たしてゆく。
――ここに死体を埋めれば、発見されることはないんだろうな。上からコンクリートを流されて、さらに、最終的には建物の下敷きになるんだから。
五味の境遇が、洋平の思考に現実味を帯びさせた。
五味は、大手建設会社の社長の息子だ。祖父は会長らしい。
「……やっぱりそうか」
思わず出た呟きは、声にならなかった。当然だ。
今の自分には口がないから、声が出ない。
今の自分には目がないから、見えない。
今の自分には耳がないから、聞こえない。
今の自分には鼻がないから、においを嗅げない。
今の自分には体がないから、寒さ暑さを感じることも、動くこともできない。もちろん、何かに触れることも、誰かに接触することもできない。
けれど、今の状況を知ることはできる。移動もできる。
洋平は完全に理解した。決して受け入れたくはないが。
自分は殺されたんだ。五味達の手によって。
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