第一章 あやし者の介護をすることになりそうです

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 途中から信号機がなくなり、山沿いの曲がりくねった道を進んでゆく。  「ななこしパン」を発って20分は経っただろう。眠るように静かな山に守られ、「アカシアホーム群馬」は在った。  平屋の建物が2棟。ウッドデッキのある、ごく普通の建物だ。  「デイサービスセンター アカシア群馬」という方の玄関で、ゲストカードだというICカードを認証し、室内に入った。 「待ってたよ~」  ミチカに突然とびついてきたのは、あの夜のおばあちゃん、ふみさんだ。 「ふみさん、お昼ご飯の前の体操が始まりますよ。お席に座りましょう」  ふみさんをミチカから引き離そうとするのは、あの夜の看護師。黒沢、とか、まろくん、と呼ばれていた人だ。夜の暗い中よりも、栗色の髪が明確だ。 「皆さん!」  真澄が声を張ると、室内の皆が真澄の方を向いた。 「若い子が見学に来てくれましたよ!」  皆の視線がミチカに集中し、拍手が沸く。  若くないです、とミチカが否定した声は、拍手喝采に掻き消された。 「若いお姉さんと一緒に、口腔(こうくう)体操をしましょう!」  その場の流れで口腔体操というものをする羽目に、なってしまい、ミチカもDVDを見ながら参加した。  介護現場とは、こういう一面もあるのか。  介護は「暗い、汚い、臭い」の3Kだと昔聞いたことがあるが、室内は明るく、綺麗で、嫌な臭いがしない。外からの柔らかな光が差し込み、ご利用者様は笑っている。 「ミチカさん、すみません。来客があってお迎えに伺えず」 「施設長……さん」  事務所から慌てて出てきた人を記憶違いしていたらどうしよう、とミチカは一瞬だけ不安になったが、間違えてはいなかった。施設長の家塚弓子女史だ。 「ここに来ることができて、良かったです。やはりミチカさんは、この施設に選ばれた人です」  大袈裟です、とミチカは否定したが、黙って聞いていた真澄が大きく頷いた。 「時間になりました! 配膳します!」  ひとりの職員の声かけで、配膳が始まる。その間にミチカは家塚施設長に呼ばれ、事務所の応接スペースに通された。 「ミチカさん、お越し下さり、ありがとうございます」 「いえ、またお邪魔してしまって、申し訳ありません」 「先程もお話ししかけましたが、ここに来られることがすごいのです。ミチカさんの叔父様は、ここに来られなかったでしょう」 「そういえば、そうでした」  あの出来事の翌日、叔父は車をとばして東京からミチカを迎えにきてくれたが、アカシアホーム群馬の場所がわからなかったのだ。 「たまたまこの施設を見つけることができなかった、と言ってしまうこともできます。ですが、叔父様のような例は少なくありません。アカシアホームは関東を中心に展開していますし、会社のホームページもあり、ハローワークに求人も出しています。それでも、それらを見つけて下さるかたはごくわずかですし、面接に来ることができるかたもさらに限られてしまいます。職員となったかたは長続きしていますし、訳あって離れてしまうかたも、業務上知り得た情報は一切他言せずにいて下さいます。我々は、施設が人を選んでいると思っております」 「それで、私も」  私も選ばれた人なのですね。  おこがましくて、ミチカは自ら言えなかった。でも、家塚施設長の口ぶりは「選ばれた人」を否定しなかった。 「ご利用者様も、そうです。この施設は、ふみさんみたいな高齢者も受け入れておりますが、あの夜のふみさんみたいなことは、滅多に起こりません。万が一起こったとしても、ご利用者様にも職員にも責任は問いません。会社が皆さんを守ります。ですから」  家塚施設長は、一度言葉を切った。 「この施設は、いつでもミチカさんを歓迎します」
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