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第二章 あやし者の介護を始めます!
新宿駅のホームに下り、ふと顔を上げた。
高いビルに視界を遮られ、夜空も見えない。星も、月も、ここでは見えない。眠らない街に夜は必要ない、と言わんばかりに、ビルディングはそびえ立つ。
江原心愛は、帯に圧迫される腹部と草履の鼻緒に擦れる足指の痛みに耐えながら、電車を待つ。
3月半ばになっても、夜は寒い。大学の卒業パーティーの帰りで、慣れない袴姿。少しだけ飲んだ酒が抜け始め、体が冷え始めていた。
「ミチカ? 江原ミチカだよね?」
「ふみゅ!」
不意に声をかけられ、ミチカは変な声をあげてしまった。
誰なのかは、すぐにわかった。間違えたら失礼だと思い、すぐに答えられなかった。
「……ユキチ、だよね? マツユキチカラ」
「そう。松雪主税です」
「ユキチ、久しぶり」
「久しぶり。ミチカ」
松雪主税こと、ユキチは、端整な顔を綻ばせる。
ユキチとは、同じ中学校と高校に通っていた。記憶にある顔立ちよりも大人になり、スーツ姿も様になっている。
「珍しいね、こんなところで会うなんて。ユキチ、地方の大学に行ったって聞いたから」
「卒パが終わって、帰省している最中。就職も向こうで決まったから、色々と整理する必要があって」
ユキチは、ホームの向こうのビルを見上げ、目を細める。
「ミチカ、綺麗になったね。その袴……卒業式だったの?」
「私も卒パ。大学の卒業式は、スーツにアカデミックガウンだったから、袴も着てみたくて」
「似合うよ……美しくなったね」
ユキチは目を合わせてくれない。恥ずかしそうに目をそらそうとする。
来た電車に乗り、吊革に掴まって電車に揺られ、同じ駅で降りる。
ユキチは、昔からモテた。女の子のファンは多く、男子からも頼られた。
家庭の事情を抱えていたが、早々にクラスメイトに打ち明け、必要があれば協力を仰いでいた。当時からコミュニケーション能力が高かった。
ユキチは強かった。家庭の事情を特殊なものだと思わず、思い悩むこともなく、隠し事もしない。その強さは、ミチカも憧れた。お近づきになりたいと、ささやかながら思ったこともあった。
でも、ミチカには遠い存在だった。ユキチの周りには、常に良い「思い」が漂っていた。今も、良い「思い」がユキチを取り巻いている。
「あのさ」
別れ際、ユキチは意を決したようにミチカを見据えた。
「ミチカに会えて、良かった。もう、会えないと思っていたから」
「大袈裟だよ」
「写メ、撮らせて」
「私と!?」
まるでカップルのような自撮りツーショットを収め、ユキチはバスに乗ってしまった。
会えないなんて、大袈裟だ。
ミチカも東京を離れ、馴染みのない土地での就職を選んだ。
だから、またどこかで会えるかもしれないのに。
「ミチカちゃん、お帰りなさい! ケーキも、ビスマルクピザも、オードブルもあるわよ!」
「叔母さん、今食べてきたばかりなんだけど!」
でも、食べる。ミチカの帰宅を待って叔母が用意してくれたごちそうが、美味しそうだったから。ビスマルクピザに舌鼓を打ったことを、叔母は覚えていてくれた。
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