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「ミチカさん、百均に寄りたかったんじゃないの?」
「大丈夫です。お給料を頂いてからでも買えるので」
「初任給が出るのは、5月じゃないかな」
「急ぎ入り用ではないので、平気です」
車に乗り、ちんまりした市街地を抜ける。
「こんなことを言うのは良くないのは存じているけど」
赤信号で止まり、美九里が口を開く。
「ミチカさんは、無理をしているよ。自分を押さえ込まなくて、いいんだよ。うちに見学に来たときの、ご利用者様に絡まれているミチカさんは、自然体で楽しそうだった。あなたは、もう自由なんだよ。あなたを力ずくで捻じ伏せるものは、何もない」
ミチカの姉の「思い」に触れたことがあるからこその、言葉だった。
無理をしているのかな。
ミチカは訊ねようとしたが、失礼だと思ってやめておいた。それが、無意識下で無理をしているのかもしれないと思い直した。
「もうお昼過ぎだね。ランチでもしていこうか」
「そう……ですね」
彼はナチュラルに話してくれるのに、ミチカは敬語が抜けない。
「詩織さんのご実家が、喫茶店をやっているんだ。ランチメニューも美味しいよ」
「あ、では、ぜひ」
アカシアホームの見学に行ったときに、詩織という職員に会った。上表文で大人しそうな女性だった。下ネタへの耐性は強そうだったが。
閑静な住宅街の中にこぢんまりとたたずむ、「喫茶やまよしや」が、その喫茶店だった。
「おー、まろくん! 久しぶり! その子、新しい子?」
「見学の子の方です」
「そっか、そっか……初めまして。小柏詩織の父です。どうか、ゆっくりしていってくれ」
店内は、いかにも昔ながらの喫茶店だが、トラックの運転手らしき人や、工場の制服を着た人もランチを摂りに来ている。ミチカや美九里みたいに休日のランチタイムみたいな人はいなかった。
カウンター席を促され、ミチカは一番安いサンドイッチを、美九里はチキンステーキを注文した。
待っている間、ミチカは気になることを美九里に聞いてみた。
「あの、お店の名前が」
「『やまよしや』でしょう。よく訊かれるんですよ」
カウンターの向こうの詩織の父に聞こえていた。
「うちは昔は商いをやっていて、屋号が『山吉屋』だったんです。僕が小さい頃にはとっくに店を畳んでいましたが、近所の人はずっとうちを屋号で呼んでいて、この店を始めるときも、店の名前を屋号にしました。近所の人も、そのまま呼んでくれるし」
「そう、なんですね」
初めて聞く田舎の事情が、ミチカには新鮮だった。
「うちの詩織に伝えてくれ。たまにはうちに寄ってくれないとお父さんが寂しくて死んじゃう、と」
詩織の父は、軽口を叩いたつもりだろうけど、ミチカはびくりと要らぬ反応をしてしまった。
「伝えておきますね」
美九里は詩織の父に答え、大丈夫だというようにミチカの肩をさすってくれた。
「ごめん」
「大丈夫だよ」
気を取り直して食べた、サンドイッチの玉子ペーストが美味しかった。
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