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「ふみゅっ!!」
山道で車が大きく揺れ、ミチカは舌を噛みそうになった。
「ごめん、大丈夫だった?」
「大丈夫……びっくりしただけ……あ!」
「何? 何?」
「お夕飯、どうしましょう」
「匠さんが差し入れしてくれるって。また張り切っちゃうと思うよ」
「以前も頂いたのに、すみません」
「好きなんだよ、誰かに与えるのが」
「聖書の言葉みたいです」
「物知りなんだね」
ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。美九里が顔をしかめた気がした。失言した、とミチカは思った。
姉が生きていたときは、知識がなければ姉の話題に追いつくことができなかった。限られた時間の中で本を読み、文献にも着手し、インターネットもよく使った。それでも至れずに姉を怒らせていた。
ミチカは知識や教養が少ないのに、まるで博識であるかのような発言をしてしまった。
軽率な発言は慎むことにしよう。ミチカは心に誓った。
「見えた、見えた。あれが社員寮だよ」
山の中にちょこっと見える洋風の建物。アカシアホームの社員寮だという。
駐車スペースには、既に車が2台止まっていた。
「管理人さんの他に、もうひとり来ているみたいだね」
「新しく住む人がいるのでしょうか」
「そうかもしれない。新人が来るって聞いたから」
駐車スペースから、なだらかな坂を上り、既視感のある洋風の建物に入る。
管理人から説明を受け、鍵を預かり、建物の中を見せてもらった。
建物は2階建て。1階が共用部分で、2階が主に個人の部屋。ひとり部屋が5室。キッチン、トイレ、風呂などは共用。他の建物に似ていると思ったら、一度だけ行った鎌倉文学館に似ていたのだ。
何よりミチカが驚いたのは、社員寮に新しく住む人が、知っている人だったことだ。
ごく普通に接するべきか、そんなことをしたら失礼か。悩んでいると、相手の方から話しかけられた。
「ミチカ? 一緒に入社する人って、ミチカだったの?」
あ、うん。
ミチカは曖昧に頷いた。
地方の大学に進学し、そこで就職が決まった。卒業パーティーの後に偶然会い、本人はそう話していた。
そんな松雪主税が、今ここにいる。
「良かった。またミチカと一緒だ。安心した」
「あ……はい。よろしく、です」
ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ。美九里の雰囲気が刺々しくなった。
「ミチカちゃんの知り合い?」
「そうです。中学高校が同じで、仲が良かったんです。ね、ミチカ」
ユキチは明らかに話を盛っている。ユキチの明るい雰囲気にも、棘が生じる。
「ミチカ、荷物運ぶよ?」
「全部部屋まで運んでもらったから、大丈夫です」
「ミチカちゃん、またランチしようね」
「あ、はい……」
「ミチカ、デートしたのか?」
「いや、あの、ここに来る途中に、お昼になっちゃったから」
「ミチカちゃん、足りないものがあったら教えてね。また買いに行こう」
美九里とユキチが火花を散らすように見据え合い、その隙に管理人が帰ってしまった。
その日の夜は、匠氏差し入れのポトフ、オードブル、バケット、塩むすび、少量の飲酒で和やかに過ごした。多分。ミチカは今回も匠本人には会えなかった。
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