第一章 あやし者の介護をすることになりそうです

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 電話が終わると、家塚施設長に呼ばれた。 「お聞きしたいことがあります。ホールまで来て下さい」  がらんと広い食堂のようなスペース。そこがホールのようだった。  廊下は薄暗かったがホールは煌々と蛍光灯がついている。  天井近くには、ふわふわと「思い」が漂っていた。悪意は感じられない。注視する気配もない。ただ、そこに居る。  ミチカが天井を眺めていると、わかりますか、と家塚施設長に言われた。 「すみません、ぼんやりしてしまって」 「いえ、大したことではありません」  うん、うん、と何かに納得する、家塚施設長。 「選ばれただけはありますね。いえ……何でもありません。椅子に座って下さい」  促されるまま、ミチカは近くのテーブル席についた。家塚施設長も正面に腰を下ろす。 「大体のことは、黒沢から聞いています。ですが、今回のことは本社に報告しなくてはなりません。ミチカさんの口から、話して頂けませんか?」  廊下の奥の方から、声がする。多分、あの男性看護師の声だ。もうひとり、別の声もする。入所している高齢者のようだ。ホールには、ミチカと家塚施設長以外に誰もいない。 「……施設長さんが叔父に話した通りで、合っていると思います。ご存知の通り、私の姉はあの貯水池で命を落としました。姉はもともと心が不安定な人でしたが、あの場所の『思い』に引きずられたのだと思います。その『思い』が、今度は私を引きずり込もうとしました。私、あの直前まで、東京にいたんです」  家塚施設長が、目を見開いて、黙ったまま驚いた。そこまで想像していなかったようだ。 「東京……厳密には、新宿の駅の近くです。時間は全然経過していなかったから、ワープみたいにしてあの場所まで連れてこられたのだと思います」  「思い」を感じることも、俗に言う「心霊体験」も、ミチカは誰にも話したことがなかった。それなのに、家塚施設長は、ミチカの話を静かに聞いてくれる。仕事だから、かもしれない。それにしても、落ち着いている。そういえば、叔父も家塚施設長の話を聞いてくれた。ミチカの体験は、それほどまでに信憑性があるのだろうか。 「あの場所に連れてこられた直後、あの……ふみさんが、空から滑空してきました。でも、空中でキャッチできたので、ふみさんにお怪我はありません」  ぷ、と家塚施設長が噴き出した。 「すみません。想像したら、なんか……いえ、福の神が降臨したみたいで」 「まさにそれなんです!」  ミチカは身を乗り出しそうになり、椅子に深く座り直した。 「しばらく、ふみさんとあの辺りをうろうろしていたら、黒沢さんという看護師さんに会って、悪い『思い」に飲み込まれそうになったとき、ふみさんから明るい光と狐みたいな姿が見えて……すみません。信じられないですよね」 「信じます。うちの黒沢も同じことを言っていましたし。弊社としても、個人的にも。そういったことを理解する姿勢でいますから」 「ありがとうございます。でも、ふみさんも黒沢さんも巻き込んでしまって、申し訳ありません」 「いえいえ。皆さんが無事でなによりです。それに」  家塚施設長は何かを言おうとして、口をつぐんだ。数秒間何かを考えたようで、再び口を開いた。 「つらいことを思い出させてしまうかもしれませんが、あなたのお姉様がお亡くなりになった日時は、もしかして……」  家塚施設長が指摘した日時は、まさにミチカの姉が死亡したと言われる時間帯だった。ミチカが肯定すると、やはり、と唸られた。 「ふみさんは、察していたようです。あの時間、ふみさんは突然泣き始め、外に出ようとしていました。ふみさんを護るものが、察知してしまったのだと思います。その後、ふみさんは落ち込んでしまいました。悔いていたのかもしれません。そして、今回は後悔したくなかったのかも」  家塚施設長は振り返り、廊下に目をやった。廊下の左右には、部屋がある。そのひとつが、ふみさんの部屋のようだ。 「誤解してほしくないのですが、ご利用者様にこんなことは、滅多に起こりません。弊社はふみさんを今後どうしようとするわけでもありませんし、黒沢を処分することもないでしょう。ミチカさんにも、何かを強いたり協力を要請することは致しません。空き室はお貸ししますので、本日はお休みになって下さい。……そうそう、先程、社長が来て夜食を置いていきました。本人はすぐに東京に行かなくてはならなかったため、江原さんとお話しできなかったことを残念がっていました。江原さんが無事に目が覚めたことを、後で私から報告します」  家塚施設長は席を立ち、看護師でない方の夜勤職員と言葉を交わし、帰っていった。
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