550円の幸福

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 「佐々原くん! アンタ何したの?!」  開口一番、乾さんは電話口の向こうでそう叫んだ。そのまま呼び出され、二十分後に再会しても尚その勢いは保たれたまま、彼女は直接、もう一度同じことを繰り返した。  「何もしてねぇっスよ」  「でも、じゃなきゃ……! 芦名さんが、自首しに来るなんてこと……」  真っ黒なスーツの胸ポケットには、しばらく店に居座っていたせいで見慣れたライターが収まっている。  つまりは、そういうことだ。  「俺は別に何も言ってないンで」  「だけど芦名さん、言ってたよ。佐々原くんのおかげだって。佐々原くんのおかげで、お金より大事なものを見つけられた気がするって」  「……そうっスか」  ここが警察署の中で良かったかもしれない。これがどこかのファミレスで繰り広げられる会話だとしたら、あまりにも場違いすぎただろう。  早足ですぐ側を行き交う刑事たちは男ばかりで、元々抱いていたイメージ像と遜色ない空気を纏っていた。乾さんは異質なのかもしれない。異質だから刑事が務まっているんだろうし、だからライターなんてものを持ち歩かなきゃいけないのかもしれない。  乾さんの声は少々上擦っていて、自分の声がやけに落ち着いているように感じられた。  「あとね、もう一つ伝言。お店に金庫があるでしょう。犯行で得たお金じゃなくて、お店で地道に稼いでた分。あのね、佐々原くんに渡そうと思って貯めてたんだって。お礼も兼ねて、ボーナスって言ってた。暗証番号は、」  「や、いいっス」  「……え?」  「いいです。それ、いらないです。受け取ったら、俺が言ったこと、全部嘘になっちまうンで。いつか帰って来た時に自分で使って下さいって、伝えといて下さい」  用事はただそれだけだった。今は面会なんていう状態じゃないからと案外あっさりと帰されて、乾さんはきちんとお礼を述べてから俺を見送った。  変わったのだとしたら、多分それは俺もだろう。金より他人を優先したのは正しく初めてであった。後悔していることといえば、金を受け取らなかったことではなく、かといって芦名さんに店を閉めさせて、自首させるように仕向けてしまったことでもなく、ただただ、稼ぎ先を失ったことくらいだった。  店は大して綺麗ではなくて、常連客のマナーも決して良いとは言えない。でも、芦名さんがいるから好きだった。収入を失ったことより、居場所を失ったことの方にショックを受けている自分に驚いて、意図していない笑いが溢れた。
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