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落としたら怖いから、しゃがんでベッドの上で抱いた。
万が一落としても、10cmしか落ちない。
というか、ここまですれば落としようがない。
ああ、抱いてみるとわかる。
赤ちゃんと言うのはすごーく小さい。
そして可愛いもんだ。
これからはずっと幸せなんだろうな、と感じる瞬間だった。
まぁ、仕方がない。
由紀は仕事をやめ、専業主婦となった。
大黒柱は僕だけだ。
しっかりしないとな。
この辺りから、結婚直後からためておいた貯金が役に立ってきた。
子育てと言うのは色々な意味で金がかかるから。
でも、幸せだ。
母さんも父さんも孫の誕生で泣きそうになって喜んでいたし、僕たちもとっても嬉しい。
実は、僕も由紀も子供の頃から子供と家庭を持ちたいと言う夢があった。
そして、今まさに、それが叶っているのだ。
あと、驚くことに怜花にはイヤイヤ期がなかった。
普通は2-3歳頃に訪れるとされる『地獄の時期』が。
そして赤ちゃんの頃からほとんど泣かなかった。
僕も子供の頃はそういう感じだったと母から聞いているから、それに似たんだろうな。
ハイハイをしないで急に立てるようになった辺りも似ている。
とにかく、普通の子じゃなさそうだな、とは思った。
『何かを持ってる』子だな、と。
特別な子に見えるから怜花を愛しているわけではないが。
でも、特別と言っても色々あるから、『何に出る』特別さなのかをよくみておかないといけない。
そして、怜花を幼稚園に行かせる時期になった頃、由紀が次女を妊娠した。
そして、怜花を生んですぐだったのでそんなに苦しまずに生むことができた。
2010年8月25日、鳴海沙也加、誕生。
まぁ、一回子育てを途中まで経験している僕達は、同じような手続きは簡単にすませられた。
でも、当然怜花とは違う部分があるわけで、例えば怜花はすぐ立てるようになって、全然喋り出さなかったのに、沙也加は全然立てなくてよく喋った。
そして怜花が6歳、沙也加が2歳のとき、三女が生まれた。
さすがに三姉妹となると、母も驚いていた。
そんな偶然あるのね、と。
三女は鳴海美桜と名付けた。2012年10月15日生まれ。
美桜はとにかくおとなしくて、喋りも動きもしなかったが、よく周りを見ているようで、色々学びとっている様子だった。
美桜も全然泣かない。
だが、イヤイヤ期は訪れた。
怜花の小学校への進学と美桜の出産、
沙也加の幼稚園入園と美桜のイヤイヤ期が重なったので、かなり大変だった。
思った通りにならないと泣きじゃくる美桜と、幼稚園と言う環境に慣れきれていない沙也加へのサポートと、怜花の上手く進んでいない小学校の勉強(特に理科)へのサポートとがすべて重なったことで、僕たちだけだと対応できなくなった。
『母さん、父さん、助けて...子育てが大変すぎる...』
電話で僕も由紀もこう言って助けを求めた。
僕たちの両親4人が代わる代わる来てくれて、サポートしてくれた。
そのお陰でなんとか生活を回すことができるようになった。
『母さん、父さん、ありがとう。』
『弘樹の娘の子育てだもの、喜んで手伝うわ。』
『そうだ。鳴海家の長老としての役目だ。』
『みんな、ありがとう。てか、「長老」ってなに?まだ52歳でしょ。』
『一応、一番年寄りだ。』
『まぁ、そうか。』
(一同の笑い)
そうやって幸せに生きていった。苦しいことも分かち合い、喜びも分け合い、死ぬときに幸せだったと思えるように生きていった。
そしてある日の朝。
起きても由紀の姿がない。
今日はママ友会にも行かずに家にいる予定だったのに。
いきなり駆り出されたのか...
でも、いくら電話しても出ない。
なんだろうか。
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