ピジョン・バーン

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 相棒は砂漠に字を書いていた。 「ゆーと、おーの、違いだけじゃん」  ねえねえ、と声をかけられても無視した。唐突に彼女が私に話しかける時は、決まってどうでもいい気まぐれに決まっている。 「はい、任務完了しました」  無線機を耳に当てながら、私は聞こえていないふりをする。 「ねえねえ、なんでなんで」  相棒が私の肩を叩き、揺らす。私は苛立ちを覚えたが、なんとか無線越しの上司に意識を集中させた。 「えっ。なんですか。すこし砂嵐がひどくて、聞き取りづらいんですよ」 「なんで! 『U』と『O』だけなのに!」  無線をつけていない耳元で相棒に叫ばれ、私はぎゃあと体を縮こまらせる。鼓膜が痛い。こいつは何でこんなに元気なんだ。 「うるさいんだよ。静かにしてろっ。い、いえ、シロボシがうるさくて。折り返し連絡します」  無線の向こう側から、弾けるような男の笑い声が聞こえた。 「いいよ。ゆっくり帰ってこい」  もちろん警戒は怠るなよ、と低い声で釘を刺されて背筋が伸びる。私は無線機を腰のポシェットに戻し、私の横で頬を膨らませて順番待ちしている相棒シロボシを睨んだ。 「静かにしろ」 「だって」  言葉を続けようとして、言葉尻が沈んでいくシロボシを見て心痛まないほど、私は冷酷ではなかった。  私よりも頭一つ分小さなシロボシ。彼女を邪険にして良い訳がないのだ。彼女と私は一心同体、とまでは言わないが、互いにこの砂漠で命を預け合うしかない。この彼女の、頼りない華奢な肩に。 「ジャケット、ずれてるよ」  太陽が容赦なく照り付ける砂漠のど真ん中で、私たちは黒く厚いジャケットを着こんでいた。私はただ、険悪な空気を誤魔化すためだけに彼女の服に触れ、少しのずれを正す。それだけで、シロボシは無邪気に私を信頼して胸を貸した。 「ありがと」  舌足らずな声に、いまは自然と頬が緩む。 「それで、なにが」 「えっ」 「『U』と『O』」  シロボシはハッと気づいた顔をして、先ほどまで蹲っていた地面に戻った。彼女の服装を正していた最中だったと言うのに、私の手から弾くように飛び出して行ってしまう。  まあいい、こんなだだっ広い砂漠で空気を気にする必要なんて、ハナからないのだ。  背負った杖の重さを感じながら、私はシロボシの傍にしゃがんだ。 「クロガオが言ってたじゃん」  一拍置いて、自分のことだと気づく。 「うん」 「言葉はたくさん種類があるって」 「まあね。今はそんなに覚えなくていいよ」  でね、とシロボシが私の話を一切聞かず続ける。  シロボシのまだ幼い、フヤフヤの手が熱を持った砂漠に指を突っ込んだ。日の照った真っ赤な砂に容赦なく刺したものだから、私は慌てて手で日陰を作る。 「『バーン』と『ボーン』がね」  迷いなく幼い指は、アルファベットを地面に描いた。  私は、その事実が何故か無性に嬉しくて唇を嚙みしめる。気を抜いたら、大声を上げて彼女を抱きしめてしまいそうだった。しかし、ここはまだ外。我慢だぞ。 「『burn』と『born』ね」  すごいじゃん、とシロボシの頭を撫でるのが精いっぱいだった。  得意げに彼女は笑う。 「へへ。でさ、一文字しか違わないのに、なんで意味が全然違うのかなって」  どうして、とシロボシがまん丸い目で私を見上げる。彼女の顔に日陰を作りながら、私は答えられずにいた。なんでって、最初にその単語を作った人に聞かなきゃならんだろうそれは。しかし、シロボシは納得するだろうか。  思案顔で黙る私の顔を見て、段々とシロボシは不安そうな顔つきになる。  私は彼女の肩に触れた。 「私も分かんないから、今日帰ったら調べてみるよ」 「クロガオ」 「なに」 「ありがと」  笑うと小さな顔の端っこまで、口がグイと伸びる。シロボシ笑顔は、最近知ったが私にしか見せてくれない。特別な感覚もするが、いつか周囲の誰かに彼女の魅力が知れたらなと思うのは傲慢だろうか。  私の手は彼女の背中を引き寄せて、胸に抱いた。  愛おしさからではない。頭のてっぺんまで痺れる危機感に、私は背負っていた杖を構えた。 「耳を塞げ!」  黒く荒々しい総身のTR―1ライフルの尻を肩の中府に押し付け、シロボシの上体を確認するまでもなく、安全装置を素早く外して一発撃った。  私の視線の先で砂が舞い上がる。敵が射撃されたがどうかを確認する前に、私はシロボシを抱いて地面に伏せた。転がった先は、まだ温かい死体の背後になる。  一、二、と数秒の時間が流れる。しかし、鼓動が逸るばかりでえらく遅く感じられた。  警戒は怠るなよ、とリーダーの言葉が耳の奥で木霊する。 「クロガオお」 「静かに」 「痛いよお」  シロボシの悠長なセリフに、私は気が動転する。  先ほどまで楽しく喋っていたのは、私たちが敵を殲滅したからだ。正確には、思っていただけだが。彼女とは一か月ほどのパートナー期間を築いてはいるが、彼女のマイペースぶりには振り回されっぱなしだ。  いま、殲滅したと思っていた敵陣の一人が立ち上がり、こちらに敵意を向けているというのに。 「我慢だ」  窘めても、彼女の機嫌は悪くなるばかりだ。 「でもお」 「ほら、少しスペース開けるから。息して」  私が上体を少し起こした時、目の前で盾となっている死体が大きく揺れた。向こうの敵はまだ死んではいないらしい。すぐさま体を低くし、体の角度を変えて状況を確認した。 「またそれか」  思わず呟く。シロボシには聞かせられないような悪態を、つい口にしてしまわなかった自分を褒めたいくらいだった。  現地の服に身を包んだ、銃を背負った男が一人。口元を黒い布で覆っており、目は暗い淀んだ目をしていた。そして、彼の目の前には年端もいかない、シロボシよりも幼い褐色の肌の少女が立たされている。 「クロガオお」  腕の中でシロボシが顔を動かす。私は彼女の後頭部に手を添え、上げないようにした。 「敵は一人だけだ。私が、する」  この言葉だけで、私がいまから何をするか、彼女には分かってしまう。  一呼吸して、私は後ろ手に構えた銃を掴む右手に力を込めた。次、外したら子供もろとも命はない。私だけの正念場ではないのだ。  クロガオの静かで優しい目が、ぎょろりと鬼のように冷たくなる。  近くで、笛に似た声がした。  素早く立ち上がったクロガオはライフルを構え、銃口を男の眉間に向ける。そして、迷いなく引き金を引いた。ダン、と床を強く踏み鳴らした音が青い空に吸い込まれ、しかしその銃弾が男の頭部を捕らえることはなかった。  弾は、砂漠に吸い込まれる。  男の体が、ぐしゃりと紙のように縮み、そのまま干からびてチリ紙になった。 「どうだった」  呆然とするクロガオは、片手の拳を突き出してニコリと笑うシロボシを振り返る。クロガオは何も言わず、小さくなって人の形を保っていないそれに近寄って持ち上げた。ポシェットの中からケースを取り出し、しまう。  当然褒められるべきだろう。なんたって、私は敵をやっつけたんだから。シロボシは自信満々でクロガオの大きな背中に近づくが、彼女は俯いて屑を拾うだけだった。 「あまり、力は使っちゃいけないよ」  意味が分からないシロボシは、首を傾げた。しかし、深く考えることもせず、あどけない少女の方に興味を寄せた。 「名前、なんて言うの」  少女はじっとシロボシを見るだけで、何も言わない。恐怖すらもその瞳にはなかった。この残酷で異常な空間を理解するには、幸いにも彼女には難しいのだろう。 「言っても言葉が分からないよ」 「なんで」  ライフルをまだ構えながら、周囲に倒れる死体をクロガオは入念に調べ始める。 「沢山あるから。気が滅入るくらい」  クロガオが砂漠の周辺に倒れるおよそ四〇はある、男たちの死体を調べつくすのにはあまり時間はかからなかった。大抵が息をしていない。その目は先程とは打って変わって、冷徹だった。  少女が、クロガオの持つライフルに怯え始め、シロボシの影に隠れる。 「だいじょうぶ。クロガオは優しいもん」  シロボシが呑気に口にするが、少女は余計に不安そうに眼を潤ませた。シロボシは、言葉が通じないことを考え、にこりと笑う。敵意がないと伝えるには、これしかない。  少女の手が、シロボシの手を握った。温もりが細く頼りない指先を辿って、シロボシに新しい感情を伝えて生み出そうと躍起になる。 「娘は基地に連れて行かないぞ」  嫌な予感を感じ取ったのか、先にクロガオが先手を打った。  シロボシの顔があからさまにがっかりしても、自身が殺した死体を漁っているクロガオは憂鬱な気分が抜けない。じろりと睨むが、シロボシは膨らませた頬を戻さないので、うんざりした。 「だって、可哀想じゃん」 「言い出したらキリないだろ。規律が緩む」 「放っておいたら、死んじゃうよお」  この娘は、自分のしたことを理解しているんだろうか。シロボシに抱えていた優しさや温もりが、すっと抜ける気がして慌てて胸に手を当てた。どうなるわけでもないが、自分だけはこの娘を見放してはいけないのだと、言い聞かすように。  あたりに倒れる、人の形をした死体は自身が撃ち殺したものとして四〇。本来は、もっと数が多かった。総勢合わせて、敵の数は一二〇だったのだ。残りは、この娘が片手を握るだけで跡形もなく潰れてしまった。  目が冴える青空に、鳥が舞った。赤茶色の羽を広げて空を舞う。  ため息を吐くだけ吐くしかなかった。  
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