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2 村での生活
下北啓一郎は鬼の子として迫害すらされなかった。誰ともタイムスケールが合わなかったのだ。
心臓が拍動している啓一郎にとって、村人たちはもの言わぬ人形に等しかった。誰もがほとんど止まっているような速度でゆっくりと動き、水田の苗植えをひとつこなすのに、啓一郎の主観時間で2時間以上かかっている始末であった。
母の佳子は息子を生かすことに執着したけれど、ついに一度たりとも息子とコミュニケーションを取ることはなかった。息子になにか呼びかけようとしても、あまりにも発話が遅すぎて啓一郎のほうが辛抱できなかったのだ。
乳児期を生き延びるのはそれほど難しくなかった。自力で動けない彼は、ひたすら佳子の乳房に張りついているだけでよかった。母乳の分泌は遅々として進まなかったけれど、我慢強く乳房に張りついている限り、必要量の最低ラインは摂取できた。
幼児期からが問題であった。彼は彫像のように動かない村人たちの動作をじっと観察し、火の熾しかたや調理の方法を学ばねばならなかった。幸い物理現象は彼のタイムスケールにしたがったので、種火が燃え上がるのに1日待つ必要はなかった。遅いのは心臓の動いていない村人たちだけであった。
啓一郎は文字の読み書きを独学で習得した。音声によるコミュニケーションは不可能だったけれど、書き置きなら(少なくとも彼からの意思表示に限れば)相手がたには伝わる。向こうからの回答は翌日、翌々日になるのはザラであったが、冗長ながら意思疎通はできていた。
啓一郎は一般的に鬼の子がしでかすであろう悪事をいっさい働かなかった。心臓の動いている彼は、村人たちより数十倍以上も早い主観時間を生きている。やろうと思えば盗みや殺しは思いのままである。心臓の動いている子どもが鬼の子と言われるゆえんであった。
けれども彼はまったく逆のことをやった。いつまで経っても苗ひとつ植えられない村人の代わりに田植えを手伝ってやったり、畑の収穫を(村人からすれば)たったの数分で終わらせてやったりした。村人たちは閃光のように残像を残して過ぎ去っていく影を、かろうじて啓一郎であると認識していた。
それでも村人たちは啓一郎を恐れていた。いまはまだ人の役に立つ仕事を進んでやってくれているけれど、いつ鬼の子としての本領を発揮するかわかったものではない。
明日にでも源三さんの鶏小屋をめちゃめちゃに打ち壊すかもしれない。明日にでも年ごろの娘を犯すかもしれない。明日にでも村人たちの喉を掻ききって回るかもしれない。明日にでも……。
ある日、啓一郎は厳粛な面持ちでなにやら一筆認めている村長に気づいた。彼は長々となにか書いているらしく、それが完成するのに(啓一郎の主観時間で)4日もかかった。
啓一郎は失礼だとは承知しつつも、完成間際の手紙を覗き見る誘惑には勝てなかった。なにせ書き出しが自分あてになっていたのだ、無理もないだろう。
それは離縁状であった。回りくどく婉曲的な表現ではあったが、内容は一言に要約できた。啓一郎にいてほしくない、ということだった。どれだけ村のために尽くそうとも、所詮鬼の子は鬼の子だったのだ。
啓一郎18歳の時分であった。
少年は自分を生かしてくれた母に短い手紙を残すと、その日のうちに村から姿を消した。どこへいくかは決めていた。
仙人の住むとされる、崑崙山である。
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