疑惑

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「この前、町医者に見せたときにニンギスの薬草が効くと聞いたから、それを手にいれ、膳じたものを飲ませたが、一向に治る気配はない。……大きな街にいる医者に診せようともしたが、マチルダがこの場所を離れたくないというから、ここで看病を続けている」 ダリウスはそう言うと、ベッドに横たわるマチルダを見た。リリスはその横顔を見つめながら、治療法を伝えた。 「……確かに、ニンギスの薬草はこの皮ふ病に有効な薬草として知られていますが、ここまで症状が悪化すると、それだけでは治りません。さらに、いくつかの薬草を混ぜ、膳じた薬をひと月ほど飲み続けること。もっと清潔な環境に身を置き身綺麗にして、数時間おきに塗り薬を塗る必要があります」 「ここでは必要な治療をするのが難しい、ということですか」と、ぽつりクロードが呟いた。 「……ええ」 お世辞にも清潔な環境とは言いがたい場所だ。かろうじてベッドは新しいもののようだが、部屋の中は埃っぽい。 しばし沈黙が続いたあと、ダリウスはおもむろにリリスに近寄ると、「ちょっと来い」と、その手を取った。 「ダ、ダリウス様……⁈」 突然のことに呆気に取られるリリスをよそに、ダリウスはそのまま部屋の外とリリスを連れ出した。薄暗い中とは違って、外には心地よい風が吹いている。手がパッと離れて、ダリウスが背を向けた。リリスは風に揺られる長い髪を押さえながら、ダリウスの背中をじっと見つめた。 「……マチルダは、特務騎士団時代に共に戦った同僚の恋人だ」 ぽつり呟いたダリウスの話に、リリスは静かに耳を傾けた。 「……二人の出会いの場なんだと、マチルダは思い出が詰まったこの場所を離れられずにいる。その同僚は、死んじまったからな。……俺の背後から飛び出てきた魔獣を斬り殺そうとして、別の魔獣にやられて死んだ」 そう言って俯いたダリウスの表情は、リリスからは見えなかった。けれど、小さくなったように見えたその背中に、リリスはなぜだか胸がギュッと締め付けられた。 「あいつが……ニコルが、大切にしていたマチルダを、俺はこのまま死なせたくはない」 ぎゅっと強く握られた拳。それからダリウスは振り向くと、リリスの目をまっすぐに見つめた。真摯な瞳に、リリスの胸がドキリと音を立てる。 「だから、俺に……力を貸してくれ」 そう言って頭を下げるダリウス。意外な彼の行動に、リリスは呆気に取られていたが、ハッとすると慌てて「あ、頭を上げてください!」と手を伸ばした。まさか、ダリウスからそんなお願いをされるとは思っていなかったからだ。 あれだけリリスに対して冷たい態度を取っていたのに、ダリウスは仲間のためならそんな相手にも頭を下げられる人間らしい。それはリリスにとって、ひどく意外なことだった。 (この人は……とても仲間想いだったのね) 特務騎士団時代のダリウスのことをリリスはよく知らない。国の英雄だと讃えられた彼のことは、王城内の人間から人づてに聞いた話ばかりで、その話の中には、悪い噂もたくさんあった。けれど、目の前のダリウスを見て思うことはひとつ。 (ダリウス様は……私が思っているほど、悪い人じゃないのかもしれないわ) しばしの沈黙。二人の間に風が吹き抜け、近くの木々がそよそよと葉を揺らしている。顔をあげたダリウスは、リリスから視線を逸さぬまま、ただじっと彼女のことを見つめている。そのまっすぐな目に、リリスはそっと笑いかけた。 「ダリウス様」 やさしげな声で、そう夫の名を呼んだリリス。結婚してから、これほどまっすぐにダリウスを見つめるのは初めてかもしれなかった。 何かが変わる。そんな予感を感じながら、リリスは「私にできることがあれば、ぜひ」と、ダリウスの申し出を快く受け入れた。
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