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そんな恒興の隣に、一人の若武者が立った。
「浮かない顔ですねぇ? 池田さま」
「お前もか。又左衛門」
かつて犬千代と呼ばれていた織田家小姓の青年は、現在は前田又左衛門利家(※前田利家)と名を改め、槍の使い手でもある彼は、槍の又左衛門の異名がついていた。
そんな利家が「お前もか」と言われたことに首を傾げる。
どうやや恒興の顔には、不安の二文字がはっきりと出ているらしい。
「お前も……?」
「いや、こっちの話だ」
佐久間信盛にずばり心の中をいいあてられたとは言わず、恒興は明るい顔の利家を見た。
二十一歳となった利家だが、口調は犬千代時代そのままである。
「お前は昔から変わらんな……」
「勝ちましょう、池田さま。信長さまのために」
「誰にものを言っている?」
「さすが、信長さまの懐刀・池田さま。ですが、大将首は譲りませんよ」
はたして自分が主君・信長の懐刀かどうかわかりかねる恒興だが、幼い頃より側にいて信長をみてきたのは確かだ。
恒興にとっては主君であり、乳兄弟でもある人物――、織田上総守信長。
(信長さま……)
恒興の数歩前、拝殿で手を合わせる信長がいる。
長い髪を緋色の組み紐で高く括り、甲冑に深紅の外套を纏っている。
その表情は伺い知れないが、少なくとも家臣たちのような不安な顔はしていないだろう。
(昔から、そういう方だ)
思えば、彼には敵は多くても味方は少なかったように恒興には感じられる。
今や尾張一国の主となった信長だが、それまでの尾張は織田と名乗っていても一族間は良好な関係とは言えず、信長が生まれた織田弾正忠家は本家にして守護代、織田大和家に睨まれ、さらにその弾正忠家でも家臣が二派に割れるなど、ごたごたつづきであった。
それでも、信長は自由であった。
大うつけと周囲から揶揄されても彼は気にすることなく、好奇心旺盛で破天荒で、そして本当は寂しがりやだということを、恒興は知っている。
そう、一番不安なのは信長自身だということも。
これから二千あまりの軍を指揮して、今川義元と戦わねばならない。
一軍を指揮する大将である彼に、不安な表情は許されることではないだろう。軍の士気が落ちるばかりではなく、大敗を喫し、多くの兵をも失うことになるのだから。
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