16.思い出

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16.思い出

 ようやく体が離れたときには息も絶え絶えだった。おれは両手足をだらしなく投げ出し、宥人はおれの腕に頭を載せ、腕の内側に刻まれた傷跡を指先で撫でていた。 「おれが女性だったら……」  以前にもおなじことを呟いたことがあった。傷跡に唇を寄せて、宥人はいった。 「おれが女性なら、善くんに家族をつくってあげられるのに」  宥人はふだん以上につよく体内での射精に固執していた。おれはため息をついた。 「いっただろ。子どもはいらない」  体を横に傾がせて、宥人の背中に手を回す。促すように力を込めると、宥人は素直に身を寄せてきた。接着した部分からぬくもりが全身に伝わる。 「宥人さんがいてくれたら、おれはそれでいいから」  本心だった。家族を持つことは考えられない。これまで付き合った女とも避妊せず性交に及ぶことはなかった。責任が取れないからだ。 「でもおれ善くんになにかしてあげたい」  淀みのない声。宥人の言葉に、再びため息を漏らす。 「馬鹿じゃねえの。毎日メシつくって洗濯して掃除してセックスしてこれ以上どうしようってんだよ。心も体も全部もらって、これ以上ほしいもんなんかねえよ」  宥人の顔が曇るのを見て、我に返った。 「ちがうちがうちがう。ごめん、おれまたやった。本当にごめん。今のはただ自分を最優先してほしいって意味で、べつに……」 「いいよ、わかってる」  宥人の表情が緩み、やさしい声がおれの腋を擽った。 「善くんは、いいかたは乱暴だけど、いってることはやさしいし正しいから」  胸に迫るものがあった。おれは黙って宥人を抱きしめた。宥人は子犬のようにおれの首元に鼻先を擦らせた。脇腹や臍のあたりを手が滑る感触が心地いい。 「宥人さん」 「ん?」  おれの脚に自分の脚を絡めながら、宥人が顔を上げる。すべてを包み込むような、信頼と理解に溢れた眼差しだった。 「今日、楽しかった」 「うん、楽しかったね」  宥人が表情を綻ばせる。弾むような声でいう。 「思い出たくさんできたね」 「思い出か……」  指先に宥人の髪を巻きつけながら、おれは宿の天井をぼんやり眺めた。 「善くん……?」 「いや、おれ今まで思い出とか意識したことなくてさ」  宥人の肩の丸みを掌で擦りながら呟く。 「運動会とか遊園地とかの記憶もないし、友達とか彼女とかそういうのもなんかちがくて……」  この短い旅行で宥人が何度か口にした「思い出」という言葉の意味がすこしずつ心に行き渡り、今になってようやく理解できた気がした。 「宥人さんといっしょにいるようになって、ふたりでいろんなとこ行っていろんなことして、メシ食ったとか散歩したとか、楽しかったとか悲しかったとか、喧嘩したとか仲直りしたとか、そういうの全部はじめてだし、全部宥人さんばっかり」  独白のようにいった。気づくと、宥人が不思議な眼差しでおれを見つめていた。黒い瞳に映る自分自身を目にして、おれは戸惑った。 「あれ、おれなにがいいたかったんだっけかな……」 「だいじょうぶ。わかってる」  もう一度、細かく何度も頷いて、宥人はおれの肩口に顔を埋めた。  限界だった。ふたりとも疲労困憊で、もう指先も動かせなかった。おれたちは身を寄せ合い、水を垂らした土のように溶けて、深い眠りのなかに埋没していった。
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