2.閉ざされた記憶

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2.閉ざされた記憶

「温泉、楽しみだね」 「ん? ああ、うん。そうだね」  突然話しかけられ、慌てて頷いた。黒川温泉の宿は宥人が調べて予約を済ませていた。航空券もレンタカーもすべて宥人が手配している。金は払っているものの、任せきりにしてしまうのは抵抗があった。といって、旅行などはじめてにちかいおれに、宥人よりも手際よくこなせるものはひとつもなかった。 「料理がおいしくて有名な旅館なんだって」  宥人はいつになくはしゃいでいる。はしゃいでいるように見える。  宥人も鋭いが、おれのほうもいつも宥人を見ているから、どれほどうまく取り繕っていても、明るさの裏にある不安が見て取れる。  落ち着かないのも当然だ。おれだって、はじめて宥人の家族に会うときはすくなからず緊張した。もともと同性愛者というわけでもなく年齢も離れたおれの家族に会うわけだから、宥人が感じている重圧は並大抵ではないだろう。それでも、おれを気遣い、あえて陽気に振る舞っている。自分の余裕のなさが情けなくなった。  窓枠のなかを田園風景が流れていく。窓をさらに開けると、初夏の涼しい風が車内に吹き込んだ。  生まれ育った福岡からは離れているが、九州の田舎町の空気はどこか懐かしさを感じさせた。16で上京してから、故郷に帰ったことは一度もなかった。もどりたいとさえ、一度も考えたことはなかった。幼少時代の楽しい思い出などなにもない。むしろ記憶を呼び起こすとともに苦痛が甦った。  家出同然の上京だった。家族に会うのは10年ぶりだ。気が進まなかったが、母や弟、妹が住む熊本まできたのは宥人のためだった。  宥人とは1年ほど前から付き合いはじめ、今は生活をともにしている。男同士ではあったが、互いの職場や友人に対しては正直に打ち明けており、オープンな関係だった。宥人の実家にも挨拶に行き、両親や妹たちとも親しく付き合っている。週末に小さな姪や甥たちと遊ぶのは楽しみでもあった。それだけに、おれの家族と親交がないことを宥人は気にしていた。弁護士としての知識と経験を生かし、10年間没交渉で消息も不明だった母を見つけ出した。  母は3年前に再婚し、福岡から九州に移り住んでいた。1年後に弟が生まれ、去年妹もできたらしい。宥人によると、再婚相手は県内で中古車販売会社に勤めているようで、生活ぶりはいたってまともなようだ。人吉市の賃貸マンションで家族4人暮らし。すくなくとも、表向きにはなんの問題もない家庭に見えた。  母はそれなりに美しい女だったが、知識や教養を持たず、生活能力も乏しかった。なによりも男を見る目が絶望的に欠けていて、悪い男に捕まっては寄生され、最終的に棄てられた。  自分が苦労するだけならまだいい。男たちは必ずといっていいほど自宅に棲みつき、全員が暴力をふるった。母だけではなく、息子のおれにも容赦なかった。  母は15歳でおれを産んだ。父親はだれかわからないという。当時の母は地元の暴走族に出入りしており、性的に乱れた生活を送っていた。実家は北九州でラーメン店を営んでいたが、経営状況は芳しくなく、娘に構っている余裕はなかった。思春期の少女は学校にも馴染めず、男に愛情を求めた。寂しさを埋めるために体を提供し、誘われるままに酒や違法ドラッグに手を出してそのすべてに依存した。  母は高校を中退。家を飛び出して、中州に渡り、水商売の扉を叩いた。15歳の子持ちが就ける職はほかになかった。  おれも中州、六本木、新宿と夜の世界に身を置いていたが、おなじような境遇の女は多かった。みな疲れ果て、将来を悲観していた。本来の年齢よりもずっと上に見える女も多かった。  おそらく幼少期に両親の愛情を受けてこなかっただろう母に、我が子への接し方を学ぶ機会はなかった。物心ついた頃から、母にやさしくされた記憶はなく、食事すら与えられず放置されることもすくなくなかった。狭いアパートの室内を這いずり、冷蔵庫や棚を漁って食べものを探すのが日課だった。ほんの3歳だか4歳だかで、自分の力で生きることをおぼえなければならなかった。  育児放棄だけではなく、母親とその情夫たちによる暴力も日常茶飯事だった。幼いおれに身を守る術はなく、常に傷だらけで、重傷を負って病院にはこばれることも稀ではなかった。  児童相談所が介入し、施設に入れられたこともあったが、そのたびに連れもどされた。母親はアルコールと薬物に溺れ、父親でもない男が入れ替わり立ち替わり訪れる家のどこが安全と判断されたのかは知らない。とにかく、凶暴な男たちと無関心な母親のもとで、おれは地獄のような日々を過ごしていた。死なずに済んだのは奇跡としかいいようがない。  13歳になり、身長が伸びて筋肉も発達したおれは、いつものように母親に殴られ、思わず反撃した。力いっぱい圧すと、母は派手に転がり、壁に激突した。そのときの母の顔は忘れられない。呆気にとられたように目を丸くして、畏怖の表情を浮かべてへたり込んでいた。  14歳で、母親の男を病院送りにした。補導され、学校に通うのをやめ、暴走族の集会に顔を出すようになった。そこにはおれとおなじような環境で生きている同世代が多く存在していた。楽しいと感じることはなかったが、すくなくとも家にいるよりはましだった。  母の折檻はなくなったが、代わりに、怪物を見るような眼差しを毎日感じることになった。それはある意味で直接的な暴力よりも不快で、いたたまれなかった。  母がどこでどうしているか、気にならないわけではなかったが、おれも生きるのに必死だった。キャバクラや風俗店で黒服として働き、どうにか生き延びていた。  おれにとって生きることは義務でも権利でもなく、ほかにどうしようもないから生きているだけのことだった。幸福や安寧といったものは望むべくもなかった。なにかに期待することもだれかに愛情を求めることもなかった。宥人に会うまでは。
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