李下に冠を正さず

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李下に冠を正さず

 来儀(らいぎ)皇太子が月鈴(ユーリン)のわずかに光った黄金色の瞳に興奮して叫ぶ。 「ああ! 今一瞬、光ったよね? やっぱり君は亡国、隠國(こもりく)王の末裔だ。金目が美しい―。僕の収蔵品(コレクション)にしたいなぁ。本当は、皇家の因縁の娘を側室に迎えるのは僕でもいいって言ったんだよ? だけど、皇太子にはふさわしくない家柄だってみんなが反対したんだ」 「……」 「ただ、僕が即位したら、月鈴を側室に迎えようと思う。さすがに正妃は無理だけど四妃の中ならいれてもいいかな……。全部あいつの大事なものを奪ってやる……」  憎悪に満ちた顔だった。 「……⁉」 (なぜ……。仮にお手つきされた天籟皇子の妻候補を皇太子が奪うっていうの? 異母兄弟だよね? 天籟さまに悪いとは思わないの?) 「―――皇太子殿下、御戯れがすぎませんか」  振り向くと、宦官の捧日(ほうじつ)が立っていた。がっちりとした体躯、静かに語るも威圧感を感じ、不穏な空気を察して来儀皇子はサッと月鈴を開放した。 「あ―はは……。からかっただけさ、冗談だよ。もう戻るとするか――。じゃあまたね、小猫ちゃん」 (うわーなんかイヤだ。その言い方。何か寒気がする)  月鈴は来儀皇子から解放されて、助けてくれたのでお礼をいおうと捧日に近づいた。すると、 「月鈴さまも、天籟殿下の立場も考えて、隙をみせないでいただきたい!」  捧日は凄い形相でギロリと睨んできた。 (おっかないなぁ……) 「はい、でも助かりました。ありがとうございます」  大人しく、すごすごと部屋に戻ろうとすると捧日は月鈴に声をかけた。 「天籟殿下は……幼少期、寂しく過ごされてきました。守られるべき時期に母はいなかったのです。常に命を狙われて心休まる時はないのです。ですから――」 「……」 「あの方を悲しませることだけはなさらぬようお願い申し上げます」  うっすら涙を浮かべているように見え、仄暗い闇を知る顔だった。 「はい……」 (捧日さまは、天籟さまのことを大切に思っているのね。でも、わたし夜伽してないし、寵愛を受けてもいない……正直に言った方がいいのかな)  ***  天籟(てんらい)の侍女であり元乳母だった娟娟(えんえん)が月鈴の一人部屋を用意してくれた。侍女が案内した部屋に喜んで入ると、意外な人物が待っていた。 「あれ? 詩夏(シーシ)じゃない」 「おかえりなさいまし、月鈴(ユーリン)さま」  詩夏は拱手(きょうしゅ)して深々とお辞儀する。 「ちょっと! 皇族ならともかく、わたしにかしこまった挨拶なんてやめてよ。それよりどうして、わたしの新しい部屋にいるの?」 「天籟殿下の妻候補のあなたにひどいことをして、格下げになったの。それで、月鈴さま付きの侍女になったのです。何か困りごとがありましたら何なりとお申し付けくださいませ。それに月鈴さまに何をされても抵抗は致しません。煮るなり焼くなり好きにしてください」  詩夏はうつむいたまま、小刻みに震え顔を上げようとしない。落し前の贄にされたのだ。後宮において報復は咎められない。例え八つ裂きにされても、黙認されるのだ。 「もう、わたしが卑劣なことするかっつーの。大体、詩夏は名門貴族なんだから、侍女職は辞めて、実家に帰ればいいじゃない。そのほうが、りっぱな殿方と見合いできるかもよ」 「いえ、いいのです。戻ったところでまたお姉さまたちに虐げられるだけ……。それに、家族から『二度と帰って来るな』って勘当されたので、わたくしに帰る家はないです。後宮でもどこでもずっと勝ち抜かなければ生きていけなかったから……」  ガツッ。頭を叩かれた鈍い音。一瞬、意識が飛ぶ。よみがえる実家での出来事……。見目が良いからと特別扱いだった詩夏は姉たちに虐げられ誰も助けてくれず逃げ場のない日々――。  ――詩夏よ、必ず皇族の妻になれ! お前の美しさなら絶対になれる。努力をしろ、そしてどんな手を使ってでもつかみ取るのだ。金ならいくらでも用意する。それ以外にお前の選択肢はない。もし妻になれなければ死んだと思って――見限るからな。頼むからワシを失望させないでくれっ……!  ――はい、お父様。 「サイテーな父上ね」  年上を敬う国柄だが月鈴は思わず言ってしまった。 「……それが、理不尽だったとしてもその世界しか知らない。わたくしはただ一族の期待に応えたかった。でもね、天籟殿下のことは本当にお慕いしておりました」 「そうか……。色々あるのね」  月鈴はすっくと立ち振り返る。 「いいわ、許す。至らぬわたしを助けてちょうだい」 「!」  詩夏は驚く。 「どうして……。どうして月鈴さまは――いいのですか」 「ええ。だって侍女としては完璧にこなしていたから。それは認めているのよ」  月鈴は何の陰りもない笑顔だった。 「……!」 「ええ? 詩夏、何で泣いているの?」  気がつくと潤んだ瞳から美しく清らかな涙を流していた。 「わたくしは月鈴さまの侍女になって、よかった……」 「へ? なんで」 「あなたは優しいわ。わたくしあなたに酷いことしたのに、責めたりしなかった……。そんな人初めてで嬉しかったのよ」  詩夏は人生ではじめてうれし泣きをした。 「では、これに着替えるため準備してください」  泣き止んだ詩夏がきれいにたたんだ衣を月鈴に見せる。 「あれ? 寝間着にしては派手ね。いつものでいいんだけど」 「さっそくですが、湯浴(ゆあみ)をしてから、(ねや)に行きます。天籟殿下がお待ちです」 「はぁ……⁉」 「なにか問題でも?」  ふしぎそうに詩夏は首を傾げる。 「いえ……何でもないです」 (まさか、まさか~。本当に夜伽ってことはないよね? よね?)
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