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え~、すっかり秋めいて参りまして。この時期になりますと、お月さんが毎晩のように綺麗に見えております。 澄み渡る、秋の夜空を昇る月……なんだか、ロマンチックな気分になっちまいますな。 フラ~イミツゥザム~ン♪ 私を月に連れてって 星達に囲まれて遊んでみたいの 木星や火星に どんな春が訪れるか見てみたい 言いかえると手を繋いでってこと だからつまり…キスしてってこと ……バート・ハワード 1954年 知ってる。あぁ、そちらの方も…… 良い歌ですもんね。 In other words、言いかえるとってところが乙なんですな。 シナトラや、ドリス・デイ等が歌い上げ、ジャズのスタンダードとしても愛され続ける一曲です。宇多田ヒカルちゃんも歌ってました。そう、アニメの新世紀エヴァンなんとかの、エンディングでも流れてましたなぁ。 ほぅ、好き? なるほど、若い人にはそっちが馴染みか。 実はわたしもこの歌が大好きでして。 こんな落語の席で話すのは気が引けるんですけどね、ここだけのはなし、こいつを唄って今の女房を口説き落としたんですよ。 満月の夜にね。 えぇー、嘘じゃないですよ。 なに、信用できないと…… お客さん、昔から月に纏わる話てぇのは多いものでね、月にはなんと言うか、神秘的な魅力があるんですな。言うでしょ、女性に満月を見せちゃいけないだとか。 月と女性の体には、深い関わりがあると言われてましてね。実際、満月が女性に与える影響は大きくて、体調不良になったり、あっちの欲が高まったり…… ある大学の行った研究ではね、満月の夜は脳が興奮状態になりやすく、眠りにつきにくくなるという結果があるそうですよ。何らかの変化を感じる人は少なくないようです。 悪い男なんぞはそれに乗っかって、一夜限りの狼に変身したりなんかしてね。 ハッハ~わたしじゃありませんて。 皆さんは、そんなことしちゃいけませんよ。 あとね、言いかえるっていやあ、有名な話でこんなものがありますな。 あの文豪夏目漱石が、英語教師をしていた時の話ですよ。 生徒が「I love you」の一文を「我れ、君を愛す」と直訳したのに対し、「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですねとでもしておきなさい」と、直した逸話。 粋ですなぁ~。 どんな時代でも、軽々しく口にできる言葉ではないですものね。 夏目漱石…… 彼ならば、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」に匹敵するほどの、洒落た歌が書けたでしょうね。 肝要なのは、相手がなんと返してくれるかだ。 わたしだったら、 「ずっと、月は綺麗でしたよ」なんて言われた日にゃあ、そのまんま、火星でも木星でも、飛んで行っちまいますがね。 「上手いっ!」って、どうもありがとうございます。 で、この逸話を聞いた、翻訳でも有名な二葉亭四迷先生がね、……漱石の感性に嫉妬でもしたんでしょうなぁ。 『浮雲』の影からうらめしそうに、 「死んでもいいわ」……と、 言ったとか、……言わなかったとか。 まぁ、人を好きになるってぇと、居ても立ってもいられない。いわんや相思相愛となれば、いつでも一緒にいたいってのが人情であります。 エドワード・ホールというアメリカの学者が提唱したパーソナルスペース。他人が自分に近づいても、不快に感じない限界の範囲を指すそうですが。それが、半径45センチ以内に相手が侵入しても不快に感じない場合、その関係は恋人レベルだとか。 コロナ禍の昨今、ソーシャルディスタンスだなんて言葉に阻まれて、おいそれと異性に近づくことも憚られる。不幸なことですな。 こんなご時世でも、惹かれ合う本能は大切にしたい。若い人たちには、警戒し過ぎてチャンスを逃すなよ、ソナーはしっかり張り巡らせておけよと、言ってやりたいものです。 自由に恋愛を楽しむ現代にも、純情と言うか、生まじめと言うか、なんと言うか…… 色恋というものに不器用な人ってのは、けっこう居るもんですからね。 この大都会、東京の空の下にも。 ある満月の晩…… よう、月見はどうだったい? あぁ、いいお月さんだったよ。 こっちに越してから色々と聞いていたが、うわさ通り。あんな十五夜を見たのは始めてだ。 そりゃそうよ。この辺りの月って言やぁ有名さ、昔っから色々と詠まれてるだろ。 めぐりあはむ、空ゆく月の行末も、まだ遥かなる武蔵野の原……藤原定家ってな。 あぁ知ってるよ。広大な武蔵野の原野にぽっかり浮かぶお月様。風情があるよね。 こんなのもあるよ。 行くすゑは、空もひとつの武蔵野に、草の原より出づる月かげ…… よしつね……そりゃ、九条良経だな。 おっご名答、やりますね。では同じ月かげでもこれはどうだろ。 ながむべし、霜に枯れゆく武蔵野の、露の名残に宿る月かげ…… んっ ……誰だっけ? ふふっ、慈円だよ。 こりゃまいった。そんな和歌まで知ってるとは……ハハッ、流石に大学出の作家さんは違うってか。武蔵野の月を満喫出来たようだな。 いや、作家風情だよ。世に出せるものなんて、ひとつもありゃしない…… ん、一次通過したって意気込んでたじゃねえか。え~と、なんとか文学賞…… あれか、……駄目だったよ。 ……あぁ、そうか……まぁ、なんだ…… で、どうだった、一緒だったんだろ。あの娘にキスしてやったかい? えっ、いや、そこまでは…… 手を握るのが……精いっぱい。 なんでい、こんな絶好の夜にそれだけか…… まぁでも、お前さんにしたら上出来だ、頑張ったじゃねえか。 それで、OKは貰えたのかい? 告白したんだろ。 まぁ、したことはしたが…… おぅ、やったじゃねえか。返事は? 別れ際に「会えてたのしかったわ」と。 脈なしだな…… 会えてたのしかった……か。そうか…… で、こいつのどこがいけねえんだ。 いや 、いけないというわけではないが。 じゃあお前さんはあの娘に、なんて言われたかったんだい? もう少し、なんというか、特別なことばを。 とくべつぅ?……例えばなんだい。 たとえば…… 「月が綺麗」とまではいかなくても……うれしかった 。そう、「会えてうれしかった」と。 月がきれいだぁ? フッ、龍之介かぶれが。 んっ……今、なんて言った? 龍之介、芥川りゅうのすけかぶ……あっ! それを言うなら「漱石かぶれ」……だろ。 お月さんに笑われちまうよ。 うっ……うっせいわ、。月が笑うだとぉ、こんちくしょうめっ! やれ……たのしいも、うれしいも、一緒じゃねえか。 違うよ。女性から言われるんならそっちの方が格段に上だよ。女が喜ぶと書くんだぜ。 また小理屈を、頭でっかちが。んな事だから…… まぁ、いいや。とにかくお前さんは幸せもんだ。 えっ、……なんで? あんないい娘が、好いてくれてるんじゃねえか。 ……果たして、好かれているんだろうか。 もちのろんさ、お前さんの目は節穴かい? 馴染みの俺が言うんだ。 嘘だと思うなら、浅草寺の住職にでも聞いてみやがれ。お前さんと一緒に居る時のあの娘の笑顔……微笑ましいとよ。 それに笑うといっそう美人だ、俺もあやかりてえもんだよ。 浅草寺には二人でよく行くが、そうだろうか…… そうさ。早くに両親に逝かれてさ、目の見えねえ祖母さんの面倒をみながら、あんだけ苦労して生きてきた娘だ。 一時はあとを追うんじゃねえかって、みんなでひやひやしたもんだ。そんだけあの娘はせっぱ詰まってたんだ。 笑うことなんて、めったに…… 生い立ちは聞いている。が、そんな想いをしていたとは知らなかった。 んっ? するってぇとなにかい、辛え話はお前さんにはしてないんだな。 あぁ…… 見上げたもんだ。 そういやぁ、こんなこともあったっけな…… 七年前か、あの娘が高校二年生の頃だった。 両親を亡くして一年もしねえ内に蓄えが尽きてな、父親の借金もある。国保の遺族年金と祖母さんの年金じゃ暮らしていけねえからと、彼女はアルバイトを始めたんだ。 ほれ、駅前の海鮮お好み焼き。 あそこの店主は俺のダチでさ、よく食いに行くんだよ。そこで頑張ってたっけ…… バイトしてたのは聞いてるよ。 あの店は昔っから給与は手渡しなんだがな。 ある給料日、あの娘は帰り道で落としちまったらしくてよ。そこらじゅう探しても見つかんねえ。交番に行ってもダメだった。 諦めた彼女はしょんぼり家に帰ったさ。だがな、このことで祖母さんに心配は掛けられねえ。で、祖母さんの食事はいつも通り作ったが、自分は飯にごま塩だけで凌いだそうだ。一ヶ月もな…… そんなことが…… あぁ、それだけじゃねえ。俺達が知らねえ苦労話なんてのは、掃いて捨てるほどあったろうよ。 そうなんだ…… このあいだ住職が話してたよ。 あの娘は本堂の前でなにやら祈願していたそうだ。気になったもんで聞いてみるとな、はにかみながら教えてくれたと。 ……お前さんの一次通過の礼と、本選での入賞を願っていたそうな。 えっ…… 「会えてたのしかったわ」……か、ふふっ、あの娘がねぇ。けっこうな話じゃねえか。 確かに「楽しかった」と、そう言ったんだな。 あぁ……言った。 ふふ~ん。な る ほ ど ね…… なるほどねって、もったいぶって。 ……なんなんだよ? 考えてみな。 ん……ん~ ……で、わかったかい? いや…… ……じれってえ男だなぁ。 ようは楽なんだよ。 ……らく…… たのしいってのはな、生きてて楽ってことなのさ。 お前さんはあの娘に、楽をさせてやってんだよ。 あっ…… ちっ、ようやくかい。 このぉ、すっとこどっこいがっ! ………… それとな、ついでだから教えてやらぁ。 「嬉しい」ってのは、一時的に湧き上がる感情にすぎねえ。だがな「楽しい」は、連続する心のさまを意味してるのよ。 つまりは現在進行形。そうさ…… お前さんといるあいだ、ず~っと継続してんだよ。 うっ、こんな俺を…… なんだおめぇ、空見て。 ううっ……うっ…… 彼女の笑顔を、思い出しちまった…… 泣いてんのか? ……ううっ…… ……まぬけだねぇ。 ほれみろ、 お月さんも、笑ってやがら。 ……お後が宜しいようで<(_ _)>
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