写真のはなし

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 事の始まりは、たぶん、一週間前の夕方まで遡る。  アタシは自分で言うのも何だけど、まぁまぁ普通の恵まれた大学生活を送っている。  正直家は古いし、部屋は弟と共有で無理やりベニヤ板で区切ってるせいでちょっとどころか四畳半かよってくらい狭いし、家族旅行でハワイ~とか経験したことないし……ウチってもしかしなくても、普通よりはちょっとお金ないんじゃね? と薄々と感じていたものの、だからと言って不幸だーーーーと喚くほどでもない。  ていうか、古嵜せんぱいに比べたらアタシの生活なんてぬるっぬるのぬるま湯だ。よそはよそ、うちはうち! と言えど、あの人の骨に染み渡るような不幸を目の前にしたら、アタシの人生の悩みなんてぺらっぺらよね~と思ってしまう。  そんなわけでごく普通の若干貧乏気味中流家庭で日々を過ごしているアタシは、勿論おうちに帰ったら優雅に紅茶を頂いて~……なんて暇はない。働かざる者豪遊するべからず。そう、アタシの放課後はほとんど毎日バイトに費やされているのだ。  アタシのバイト先は、なんてことない、普通の焼き肉屋だ。  本当は隣のファミレスが良かったけど、なんと面接で落ちてしまった。やっぱデコりまくった爪がダメだったかなー! とゲラゲラ笑いつつ、コピった履歴書流用して受かっちゃったのが焼き肉屋だった。それだけだ。  いつものように『はざーっす』の掛け声と共に出勤し、いつものように高校生バイトの子とどうでもいいような話に花を咲かせまくり、いつものように怒られる――はずが、その日は珍しく、生真面目な先輩バイトリーダーが休みだった。  フリーターであるバイトリーダーは、マジで住んでんの? ってくらい毎日出勤している。いや本当に住んでんのかもしんない。しかもそこそこ忙しい金曜日だったのに、代わりに出勤してきたのはコンビニと掛け持ちしてるおねーさんで、どうもリーダーは具合悪くて寝込んでいるらしいという話だった。  体調不良は仕方ない、珍しいこともあるもんだ。そう思ったことを覚えている。  とはいえ、別に大したエピソードじゃないし、正直アタシの生活にはほとんど関係ない話だ。バイトリーダーなんて下の名前も知らんし。ちょっとだけ金曜のバイトが忙しくなっちゃうだけで、その日だって本当に『ちょっと忙しいなぁオイオイリーダー次に会ったらジュース奢ってもらおうぜぇ』とか笑いながらおしゃべりしていた。  よれよれのパーカーを着たなんだか妙に胡散臭い男――風戸部長が、来店するまでは。 「…………待って、え? 風戸部長って、あの……オカルト研究会の、元部長の?」  時はギュイーンと戻って現在、荊禍邸。  果たしてどうしてこんなことになっちゃったのよっていう話の途中、アタシの隣できれいに正座をしていた古嵜せんぱいが、細くてきれいな眉をぐっと寄せる。うーん、今日も麗しいですせんぱい……。 「そうです~~~あのオカ研名物ちょい濃ゆソースイケメン映画オタの風戸部長です~~~。っていってもーなんか妙に薄汚れたっていうかぁ、小汚いっていうかぁ……別に憔悴してるって感じじゃなかったんですけど、痩せてて目とかぎょろっとしててー。おっ、社会人デビュー失敗して怪しい薬とかキメちゃってんの!? ってかんじでー」 「……風戸部長が? 痩せて、汚く……?」 「うはは、わっかりますぅー全然想像つかないですよね? ていうか最初はアタシちゃんも『ちょっとぉー何馴れ馴れしく名前とか呼んでんですかぁー』って思っちゃいましたもん。知らんおっさんが絡んできたよーと思ったら知ってる人でマジびっくりぽん」  たぶん、全然想像できないんだろう。  アタシの横に並んだせんぱいは、本当に解せないって感じで首をひねっている。  ちなみにそれなりに狭い荊禍邸には、アタシとせんぱいとスミちゃんしかいない。アタシが階段から転げ落ちるのを颯爽と阻止してくれたみっつんは、仕事があるからと大変名残惜しそうに帰っていった。  そういえば風戸部長は、スミちゃんも面識があるはずだ。何の時だったかもう忘れたけど、えーと……スミちゃんが大学に乗り込んだとき、しっかりと対面している、と思う。 「はーぁ、あのテニスサークル男子みたいなやつだろ? やたらとこまどちゃんに馴れ馴れしかったクソ男だ!」 「それ~そのクソ野郎なんですけど~……なんかね、ふふ、やたらにやにやして、良いモノがあるから見せたいんだ、とか言ってきてー」 「なんだそりゃ、変態と変質者の常套句じゃないかよ。さゆりんちゃん、そんなのに付き合ってちゃ面倒ごとに巻き込まれちまうだけだぞ?」  スミちゃんに正論ぶちかまされるなんて遺憾すぎるんだけど、ふふふ、まったくもってその通りだった。  一人でふらりと焼き肉屋に入っていた風戸元部長は、野菜とカルビを単品で頼んだ後にアタシを手招きして、鞄から一枚の写真を取り出した。  あ、やっべーなこれ、逃げた方がいいんだろうなこれ、って思った。思ったけどアタシはつい、それを見てしまった。……よくない癖だよ本当に、こういう時に、保身よりも好奇心が勝っちゃうの。  スミちゃんと出会ってから、アタシは怖い思いをいっぱいしてきた。アタシは霊感なんてないし、幽霊なんてものも大して見えない。それでも怖いしぬ助けて嘘でしょって泣き喚くような体験は一回や二回じゃないし、名指しで除霊してもらったことだって二回ある。  幽霊は怖い。ホラーは嫌だ。そう思うけど、同時に『でもスミちゃんが居ればとりあえず死ぬようなことはないよね?』とも思ってしまっていた。  幽霊は怖い。ホラーは嫌だ。でも、スミちゃんはたぶん、幽霊よりも強いことを知っていた。  だからってわけじゃないんだけどー……うん、これは後から考えた言い訳かも。その時のアタシは、本当に些細な好奇心で動いてしまったのだ。 「本物の心霊写真を手に入れたんだよ。こいつが本当にすごいんだ。ほら、これだ。映画のね、資料に撮った写真らしい。どこかのロケ地なんだろう、たぶん、九州の方だと思うけれど――。ここに映ってるだろ? そう、これね、人じゃないんだよ……人なんか、ここには居なかったんだ。こんなにハッキリ映ってるなんてね、中々ないよ……わかるかな? この女性……俺は女性だと思ってるんだけど、女性は奥を向いてるだろ。でも、顔がおかしいんだ。……鼻が無いように見えないか? それどころか、身体がねじれていて、ほら……足も腕も一本しかないように見えるだろ」  元部長が興奮した様子でまくし立てている間、アタシは机の上の写真から目を離せなかった。  どこかわからない、野外。森か、それとも林の中。奥の方には古いプレハブ小屋のようなものがあって、その手前にはっきりくっきりと――女性のような細長いものが映り込んでいた。  映り込む、というか、もうバッチリ完全に映っている。心霊写真だよ、と言われて出されなきゃ、普通に女性の後ろ姿を映した写真じゃんってスルーしてしまいそうなほどだ。  後ろ姿というか、その人は確かに写真の左奥の方に身体を向けている。よく見ると服のようなものは歪んでいて、着物なのかワンピースなのかもわからない。ただ、足は確かに一本しか見えないし、こちら側に見えるはずの左腕も見えない。  そして、部長が言うように、角度的に見えているはずの顔の凹凸も無いように見えた。  気持ち悪い。  シンプルにそう感じた。  なんていうか……大きな顔が睨んでいるとか、隙間から手が出ているとか……そういう写真じゃないから、一見、そんなに怖さは感じない。でも、すごく気持ち悪い。ゆっくりじっくりと鳥肌が這い上がってくるような、そんな気持ち悪さ。  アタシが反応できずに固まっていると、気をよくした部長は更ににやにやと笑って目を見開く。 「これさ、知り合いの霊能者に見てもらったんだよ。勿論ナツキみたいな素人霊能者じゃない、ホンモノの霊能者だよ。そしたらさ、もう一目見ただけで『これは私にはどうすることもできないので帰ってください』って言うんだ。いやぁ、感動したね……ホンモノの心霊写真ってことじゃないか。しかもね、さらにこう言うんだよ……『この写真の人は、いつか』って」  写真の中の幽霊が、見ている人間に気が付く。  ……それってつまり、霊障があるってことです? と気が付いた瞬間、アタシはやっと写真から目を離せた。その後の記憶はあまりない。なんかこう、ひきつった笑いでどうにか会話をしたような、何も話せなかったような……ていうか風戸部長ってオカルト研究会をホラー映画研究会と勘違いしてるような人で、こういうガチオカルトには興味なかったんじゃないの? なんでこのひとこんな嬉しそうなの? え、ていかなんでこんなもんアタシ見せられたの?  気が付いた時にはもう部長は帰った後で、閉店作業をしながら『なんか風戸さんに写真見せられたんだけどー』なんて話がちらほら耳に入った。悲しいかな、大学付近の店なんてバイトはほとんど顔見知りだ。  本来オカ研なんてクソが付くほどインドアでマイナーなサークルなんだけど、風戸部長はさっきスミちゃんが言ったみたいに『どうみてもテニスサークルのナンパ男』って感じの人だ。ちょっとホラー映画好きがきもかったくらいで、顔はまあイケメンの部類だし、それなりに目立つし交友関係も広い人だった。どうやらアタシちゃん以外のスタッフも、顔見知りは手当たり次第あの写真をご自慢されたらしい。  いやいや。いやいやいやいやー……あれ、あの、霊感ゼロを誇っているアタシでも『あーやばいやつじゃないのこれー!?』ってビンビンきちゃいましたけど?  あんなのみんな見たらまずいんじゃないの!?  というアタシの心配はドンピシャ大正解してしまい、アタシ含め多数のスタッフが体調不良でバイトに出れなくなってしまった。噂ではバイトリーダーはうちの大学のOBで、風戸部長とも顔見知りで、そんでもってうちらよりも先にあの写真を見せられたという話だ。おいおい感染症もびっくりの効力じゃんかよぉ……と戦々恐々としつつも、ついに『このままだとアタシまじで死んじゃうんじゃね?』と慄いたアタシは最後の力を振り絞り古嵜せんぱいを召喚し、すいませんせんぱいアタシちゃんをスミちゃんのところに連れてってぇ、と懇願したというわけだ。  なんか途中でみっつんも呼ばれて大変な騒ぎだったけど。確かにアタシは生まれたての小鹿ばりのヨボヨボっぷりだったし、長身イケメンとはいえか弱い女子である古嵜せんぱい一人では重荷だったかもしれないけど。  以上、大まかな元凶のお話でございます。  と締めくくった後に残ったのは、微妙な憐みと苦笑のような雰囲気だった。  遺憾遺憾、まったくもって遺憾だ、スミちゃんに苦笑いぶちかまされるとかアタシちゃんの人生でワースト5に入りそうなくらいの失態なんですけど? 「あー……なんていうかなぁ、さゆりんちゃんはね、行動力があるのはいいんだけど、ちょっと迂闊で強すぎるんだよなぁ。まあ、だからこまどちゃんと良いコンビなのかもしんないけどさ」 「んふふ、アタシとせんぱいをニコイチ勘定するところだけは大評価できますよスミちゃん……そう、アタシは引きこもりのか弱いせんぱい(ハート)を塔から掻っ攫う王子の如きギャル……!」 「囚われの姫っぽいのは同意するけど、さゆりんちゃんは王子っつーかドラゴンっぽいけどね。ところでその写真の現物はないんだね?」 「あ、はーい。写真撮らせてくださいよ~って感じでもなかったし、目に焼き付いてるだけですね。でも一応現物無いと難しいのか? と思ってーなんとなく記憶だけで絵描いてみたんですけどー」 「…………さゆりんちゃん、絵、うまいね……」 「てへ。もっと褒めていいんですよ? てかアタシちゃんはこれでも建築科なんでーまあ、絵心があるってわけじゃないですけど、模写はできますよぉ。で、どう? どうよスミちゃん? 呪われ代行五千円いけます?」 「いやぁ、ぼかぁね、霊感が備わってるわけでもないからなんとも……こまどちゃんはどう――」  思う? と、スミちゃんは続けたかったはずだ。でも言えなかった。それは、アタシとスミちゃんが同時に視線を送った先、古嵜せんぱいが真っ青な顔で口元を押さえて身体を折り曲げていたからだ。 「え。え、ちょ……せんぱ……だいじょ……え!?」 「――――ごめんなさい、わたし、これ、無理です」  か弱い声でそれだけ言うと、だーっと台所に走って行ってしまう。せんぱいが嘔吐している音だけをBGMに、アタシとスミちゃんはたぶん同じことを考えていた。  ――これ、やばいんじゃね? って。
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