写真のはなし

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 持つべきものは管理の甘すぎる親だ。  今日ちょっとせんぱいのおうちにお泊りするからぁ~っていうかしばらく? 滞在する感じでぇ~……え? そうそう、古嵜せんぱい、なんかね、バイト先で怪我しちゃったんだってぇーそんでーせんぱい一人暮らしじゃん? 家事がままならないから手伝ったりしつつーアタシもレポート見てもらおうかなぁってー。バイトも休みになっちゃったし、え? うん、だいじょぶだいじょぶ、迷惑はかけないし時々帰るし明日も一回帰るから! は? 失礼だし、カレーとチャーハンくらいは作れますし!  という電話一本で『先方にご迷惑かけんじゃないよ本当に……』という若干信頼感なさそうな感じのオッケーを頂いたアタシは、ッシャオラーのハンドサインと共に急遽新しい役職に就いたわけだ。  昨日までの宇多川紗由は、建築系大学の二年生かつ、焼き肉屋のバイト少女だった。  そして今日からの宇多川紗由は、呪われ屋さんのアシスタント(見習い)なのである。  びっくり、全然嬉しくないわ。  少し前ならなにそれうける~おもろ~えーやるやる~みんなに共有していい~? みたいなテンションでわろてたことでしょうよ。でも今のアタシは、スミちゃんのお仕事がそこそこ危険であることを知っている。ネタとか興味本位で首を突っ込んでいいようなモンじゃない。  アタシの作った適当なカレーをきれいに食べたスミちゃんは、さっさと皿を洗った後、いつものようにごろんと薄っぺらい布団の上に身体を投げ出してタブレットを弄り始めた。  まずいともうまいとも言われなくてちょっと不安だ。ていうかアタシのカレーを何のコメントもなく食べ終えたこと自体がマジで不安なんですけど……。  こちとら普段はそれなりに仲良くかつ順応な小学生男子(弟)が本気で嫌がる程度の料理の腕前なのだ。  そんでせんぱいフリークのアタシは勿論、古嵜せんぱいの料理の腕前を知っている。なんでもかんでも器用にこなすパーフェクトなせんぱいのお料理は勿論おいしくて、正直比べ物にならないはずだ。  カレーなんか誰が作っても一緒なのになんで……と、アタシも思う。思うが実際『カレー……か……?』みたいな何かになっちまうのよ……なんでよ。アタシが訊きたい。なんで。 「あ、のぉー……スミちゃん、もしかして味覚がお亡くなりになってます……?」  さすがに不安になって、部屋の角から声をかける。ちらり、とアタシの方を見たスミちゃんは、すぐに視線をタブレットに戻してから珍しくふはっと失笑した。 「……いや、ごめん、ふふ。なんだか予想外だなぁ、さゆりんちゃんはもっと、ちゃんと他人に興味がないと思ってたからねぇ。ごめんよ、先に説明しとくべきだったんだけど僕ぁちょっと身体能力が、うーん……半分くらい死んでてさ。なんでもかんでもぼんやりしちゃってんだよ」 「はぁ。聴きたくない重そうなお話がてんこ盛りで情報過多でさゆゆお耳を塞ぎたいっすねぇ」 「あ、でもこまどちゃんって料理うまいんだなぁってちょっと実感した」 「お。喧嘩か? 喧嘩なのか? 買うぞ?」  などと茶化しつつも、アタシは正直ほっとした。  アタシのカレーが絶妙にまずいことなんかわかりきっている。むしろ褒められた方がこわいし、こまどちゃんよりおいしいよなどとうすら寒い嘘を言われるよりも、ちゃんと本心を晒してくれた方がいい。  スミちゃんは、アタシに本当のことを話してくれている。そう思えるからだ。  アタシは荊禍栖のことをほとんど知らない。せんぱいもよく言葉を濁していたし、みっつんもほとんど説明してくれなかった。本人は言わずもがなだ。  だからきっと、アタシはこのひととはとても遠い位置にいたのだと思う。今まではそれでも良かった。きっとスミちゃんやせんぱいやみっつんが、そういう位置にアタシを配置した。  ただ、せんぱいが一時的にいなくなって、代わりにアタシがその穴に滑り込んでしまった。こうなってしまうと、関係ないから知らない、で済ませないことも出てくるのだろう。  とりあえず代行してみよう。でも、一日だけじゃ無理かもしれない。暫くは住み込みする気持ちで居た方がいい。  包み隠さず『たぶんやべーよ』と言ってくれたスミちゃんのお言葉に従い、アタシはしばらく古嵜せんぱいのお部屋を間借りすることにした。  そしてとりあえず、今晩の除霊にお付き合いする覚悟を決めたのだ。  僕の除霊は深夜の二時からだ。  そう言い切ったスミちゃんのお言葉通り、とりあえずせんぱいのお部屋でシャワー浴びたりだらだらしたりしてみたものの、結局落ち着かずにスミちゃんのお部屋に戻ってきてしまった。 「……スミちゃんの除霊って、なんかー……だるっとしてますねぇ」  相変わらずのスウェット姿でだらだら寝っ転がるおにーさんを眺めつつ、思ったことを口にする。今度はちらりとも見ないでわははと笑うスミちゃんは、ひどく楽しそうだけどやっぱり少し感情がうっすい感じだ。 「こまどちゃんにも似たようなこと言われたなぁ。準備とかいらないんですかって。いやぁ初々しいねぇ懐かしい。僕にも懐かしいなんて気持ち存在するんだなぁ……」 「いうて去年の話じゃないですか。てかせんぱいとの個人エピソード小出しにしてくるのマジやめてくださーい、アタシの知らないせんぱいの話なんか聞きとうない……」 「さゆりんちゃんはブレなくて気持ちいいねぇ。そういう風にきちんと自分を見せられているのは、きみがとても頭がよくて感情をうまく扱えているからかな」 「……褒めてもカレーは美味くなりませんよ?」 「思ったことをそのまま言っているだけだよ。僕は感情なんてものもうほとんど関係ないと思って生きてきたからねぇ、最近はそれでもなんとなく思い出してきたけれど、やっぱりまだまだ未熟者だ。きっとさゆりんちゃんにも迷惑をかけると思うし、いらだつこともあるだろうよ。僕は人間として未熟だ。成熟してないんじゃなくてね、ほとんど死んでるって思ってもらっていい。だから意図せず『普通じゃない』言動をしちまうときもある。そういう時はね、あー……どうすっかなぁ」 「対処法ないんですか!? いま格好よくいい事言うタイミングでしたよ!?」 「って言われてもなぁ……こまどちゃんとみっちゃん以外に僕に関わる人間なんかいないし、あの二人もちょっとなぁ、普通とは言い難いでしょ?」 「た……確かに……!」  みっつんは明らかにスミちゃんにクソ甘いし、なんならせんぱいも結構甘い。最初は『荊禍さんがわからない……』みたいにげっそりしている時もあったけれど、大学を辞めてからは『あの人はああいう人だから』みたいななんていうか熟練夫婦みたいな事言うようになって非常に嫉妬――否、他人に甘いせんぱいも素敵……という感じだった。  アレ(みっつん)と女神(せんぱい)しか接触しないとあらば、そりゃ『普通』のデータは取れないだろう。 「ま、困ったことがあったらみっちゃんに言っておくれよ。たぶん深夜でも大概連絡がつくからね、穢土調整課は。生活のこまごましたことはこまどちゃんに確認するのが一番なんだが、いかんせんいまのさゆりんちゃんは結構な確率で可能性がある。こまどちゃんに穢れはご法度だ。どうしても連絡取りたいなら筆談がせいぜいかなぁ……」 「わぁー……文通ってことです? それはそれで有りよりの有り……!」 「きみは本当にちゃんと優しくてえらいなぁ」  ……まあ、あえて前向きに考えよう、としている部分はある。  でもそれをズバッと指摘されると、うるせーなんて返したらいいかわっかんないからこっち見んなそういうのは心の中でスルーしとくんだよこの半人前が! みたいなお気持ちになるのです。  ていうか日常生活であんまり他人に『えらい』とか言われることってなくない? ない。アタシはない。しかもスミちゃんは割合正直なのだ。アタシのクソまずカレーを『味しない僕が食ってもまあ微妙だったわはは』と言ってくれるくらいには。 「……スミちゃんてぇ、おうちから出れないんです?」  なんて応えていいかわからないから、別の質問を繰り出す。会話は質問の方が簡単だ。空気を読まなくてもいいから。 「んー? まあ、そうね。出れないっていうか、みっちゃんの会社に『出るな』って言われてる、が正しいかな」 「それは幽霊退治の為?」 「そうそう。僕が家に住むことで、ある程度の霊障を押さえられるからね。呪われ代行は実はバイトでね、こっちが本業だからね。本業? うーん……受け継いだものだし、家業みたいなもんかね」 「それって、危なくないんです? もしかしてスミちゃんが半死マンなのはみっつんのせい?」 「うーーーーん。いや、その質問は難しいぞ……? 僕がこうなっちまったのは別に穢土調整課のせいじゃなくて、子供の頃に憑いた■■のせいなんだけどね、まあその■■が僕に憑いちまった件についてみっちゃんが関わってないとも言えないしなぁ」 「んん? 子供って言いました? え、そんな前からお二人はダチなんです?」 「そうね、まあそうなる、か? ――僕は友達だって思ってるけど、みっちゃんはどうかなぁ……なんかなぁ、一々大げさなところあるからなぁみっちゃんは…………お。もうそろそろ時間かな」  スミちゃんの部屋には家具がほとんどない。けれど時計だけはちゃんと掛かっていて、確かに短針は二時を刺そうとしていたけれどそんなことより時計を見あげた瞬間身体がビキッと動かなくなってしまって嘘でしょこれ金縛りじゃん嘘でしょ時間きっかりすぎるでしょ日本の幽霊真面目かよ……!  今ちょっとおもしろい話してたんだから自重してほしい。空気読んでほしい。マジで勘弁してほしい。  そう思うのにアタシの口は一切動いてくれないから文句も一切叫べない。ただ、掠れたような息だけが、かろうじて口の端から零れるだけだ。 「……っ、……………!」 「……あー……ちょっと実は気づいてたんだけどね、さゆりんちゃんって、わりと霊障に敏感だよね……僕の代行を過去何回も受けてる人ってあんまりいないんだけど、きみは特に頻繁だ。霊感があるかどうかじゃなくってね、障りを受けやすいんじゃないかな。たぶんきみは見えない割に敏感なんだ。感受性ってやつも影響するのかなぁ……僕なんかはねぇ、ほら、クソ野郎だからね。人間の感情なんてもの、半分くらいはどっかに落としてきたクソ野郎だ。そんな奴には幽霊側だって近寄りたくはないだろうさ。あいつらは案外陰湿だ。優しくて甘い人間にすり寄ってくる。あー……なるほど、こまどちゃんがやたらと視る割にあんまり霊障被害受けないのは、あの子がそんなに人間に優しくないからかなぁ」 「…………す……、………ぁ……!」  スミちゃんそんな考察どうでもいいからどうにかしてよと叫びたい。  アタシは優しくなんかない、ビビりなだけだ。  せんぱいはアタシなんかよりずっと優しい、ただ他人に対する懐疑心が強いだけだ。  スミちゃんは言うほどクソ野郎じゃない、ただ、――今はほんとどうでもいいことは一回横に投げ捨ててアタシを助けろクソ野郎、と叫びたい。  だってアタシの右側の頬っぺたに何かが触れている。  さわさわとした、くすぐったい何か。  右肩にはなんかこう……硬い骨みたいなものがずん、と乗っかっている気配がある。  ねえこれさ、顎じゃん? ていうか頭じゃん? このさわさわしたやつ、たぶん髪の毛だよね?  誰かがアタシの右肩に顔を乗せて、アタシの覗き込んでるんじゃねーのこれ。  眼球が思わずそちらを向きそうになる。声だって出ないのに、何故か目だけは動くのだ。駄目だ、駄目、どう考えても見ちゃ駄目だ。  背中からぶわっと這い上がる最悪な鳥肌に耐えながらどうにか視線を時計に固定する。駄目、駄目、駄目――そう思うのに、アタシの肩口からは『はぁー……』というなまぬるい吐息が聞こえた。  あー。……やっぱり、女の顔だ。  これ、たぶん、写真のアレだ。気づいてしまったのだ、きっと、あの写真の女は。写真を見ているアタシたちに。 「大丈夫大丈夫。だってもう二時だ。そいつが急に出てきたのだって、きっと足掻いた結果だからね。なんてったって■■はとにかく強い。……ま、喰えないものもあるっちゃあるけどね」  あっけらかんとしたスミちゃんの声は覚えている。何か視界が黒くなって、その後にひどい悲鳴を聞いた覚えもある。アレは何の悲鳴だったのだろう。あの女? それとも別のもの? ……アタシの悲鳴だったのかも。  とにかくアタシはそのまま昏倒し、気がついたら朝だったわけだけど――。  アタシの頭にこびりついて離れない『目の無い女』のイメージは、一体どこから湧いてきたのか。もしかして、アタシは意識を失う前にあの肩口の女の顔を見てしまったのか。  とにかく朝目が覚めて、割合いつも通りのへらりとした顔で『ごめん、やっぱ無理だったみたい』と笑ったスミちゃんを殴らなかったので誰かに褒められたい、と思った。  さて、アタシの一連の『写真の女』に関する怪異はここから始まった。この日からアタシは自分の身に降りかかった理不尽な心霊写真の怪異を振り払うために、呪われ代行屋の飯係兼見習い助手として奔走することになるのだ。
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