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「彼女の心に残りたいんだよ。もう二度と、僕のことを忘れて欲しくない」
慈悲深き穏やかな笑みが剥がれ落ち、今まで隠されていた陰惨な表情が露わとなる。
恍惚とした青い瞳が見開かれ、カチェリに触れた手を撫でながら吐き出される息が僅かに速くなる。
「恨みであれ憎しみであれ、どんな形でもいい。僕はずっと彼女の中に残りたい。彼女の思考の中には常に僕の存在があって欲しい。カチェリの頭の中を僕で一杯にしたい。僕のことしか考えて欲しくない」
「……マジきめぇ。ほんっとお姫様に同情するわ。お前、毒の量見誤って死ねば良かったのに」
「僕が見誤るわけないだろ? 死なないようにちゃんと調整はしていたよ」
「そういうことじゃねぇよ。……お前と話してると、こっちの頭がおかしくなりそうだ」
軽蔑を口にしつつも、ローランの背中には冷たい汗が伝っていた。湧き上がる恐れを必死に隠しているローランに、ハンスはゾッとするほど美しく笑いかけた。
「カチェリはね、笑顔がとても素敵なんだ。だけどそれと同じぐらい僕は……思い悩み苦しむ彼女の表情が好きなんだよ」
その思い悩む理由が自分のことであれば……なおさら。
愛する人が自分のことで悩み苦しみ涙する姿を想像しただけで、背徳感に似た興奮が湧き上がり、思わず唇がニタリと緩む。
「この分だと、僕を受け入れてくれる日もそう遠くなさそうだな。さて彼女は……一体どんな表情を浮かべながら僕に抱かれるんだろうね」
兄を裏切り敵に身を許すことに対する懺悔か、それとも今まで辛くあたってきた自分への償いか、それとも両方か。
そして、
「憎むべき相手との間に産まれた子どもを、どんな気持ちで抱き上げるんだろうね」
彼女を思い悩まず根底には常に自分がいる。
何に悩もうが、何に苦しもうが、その全てにハンスが存在する。
カチェリが苦しむとき、自分は常に彼女の心に存在するのだ。
ああ、素晴らしい。
なんという幸せ。
「……お姫様に同情する」
守るべき主に対する言葉ではないと分かっているが、ローランはそう呟かずにはいられなかった。
彼の心境を感じ取ったのか、ハンスは苦笑いを浮かべながら頷く。
「……そうだね。カチェリは可哀想だ。僕なんかに目をつけられたせいで、国を失い、大切なお兄さんも殺されて、人質として僕に嫁がされた。喚き暴れることでしか心の平穏を保つことができず、いい人であるが故に僕を憎みきれずにいる。そんな相手の子を産まされ、もう一生この国から、いや僕の元から離れることはできない。可哀想だね、本当に……本当に本当に可哀想で――」
脳裏で、幼いカチェリの笑顔と、憎しみと許しの狭間で悩み苦しむ妻カチェリの歪んだ表情が被る。
ハンスの緩んだ唇から熱い息が漏れる。
「可愛い、僕のカチェリ」
<了>
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