刻まれていた感性

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刻まれていた感性

 藍子は、瞬きもしない尚正の表情をよく見ると、やはり何かを見ているのが分かった。 『確かに何かを見ているわ、返事が出来ないほどのものなの?』  すると・・・。 「藍子ちゃん。」 「あっ、はい、何が見えたの?」 「右手の方にある、出入口を開けようと思うんだ。僕が内鍵を外して何度か扉を揺らしてみるから、封印の板を見ていてくれないかな。」 「分かったわ。」  尚正は、再び足下の方を照らし、ひょいと屋内に降りる。そして出入口に歩いて行ったようである。  藍子は、言われた通り、南向きの出入口の方に向かって、そこの前に立った。 # キュ キュ  すると、入口の扉がゆさゆさと前後に揺れだした。封印の板も併せてぎしぎしと音をたてる。 # ギ ギ  やがて、扉の揺れは大きくなった。 # ギュ ギュ  そして、中の尚正の顔が見える位に開き出した。 「もうちょっとよ、もう少しで板が外れるわよ。」 「これからもっと強く押すから、ひょっとして板がとぶかもしれない。そこから離れていて。」 # パリパリパリ  そんな音がすると同時に、ついに扉が開け放たれた。  屋内に光の帯が差し込んでいる。十数年経って、やっとこの建物が外の世界の光を吸い込んでいる。まるでこの日が来るのを待ち続けていたかのように。当たり前のことだが、屋内には誰も存在しない空間がある。  藍子は、出入口に立って辺りを見回し、何が見えるんだろうかと思っていた。 「・・・・」  やはり差し込む光以外には何も見当たらない。 「何も言わずにじっと見つめていたけれど、何を見ていたの?、私には、何を見ていたのか分らないんですけど。」  その言葉を受けて、尚正は不思議なことを言い出した。 「観ていたんだよ、流れるようなギターの調べ。きめ細やかなサパティアードの踏み音、艶やかなハレオに絶妙なアクセントをつけるゴルペ、熱く、そして、美しいバイレ、父と母が繰り広げる舞踏演奏の姿だ、やっとそれを確かめることが出来たんだよ。」 『幻なの?、それとも想像?』  何を言っているのか、藍子にはさっぱり分からなかった。  しかし尚正は、今度は日の当たっている床の方を指差して。 「藍子ちゃん、ほら、踊っている君にも分るはずだよ。じっとそこを見つめてごらん。舞踏場の床を良く見て。父さんの演奏に合わせて踊る母さんが、見えないかい?」 『!!・・・えっ、あっ、これは。』  藍子も、やっと床にあるものを見つけた、それで尚正の言うことが分かったのだ。  それは、彫刻刀で彫られたような、克明に残っている様々な傷跡。それは意匠を施したように床全体に鮮やかに刻み込まれていた。f0fbfbe3-5dac-469f-84c5-6c9854419969 「これは、ひょっとして踏み跡?・・・サパティアードの跡なの?、もしそうだとしたら、信じられないくらい正確で、さらに鋭く踏み込まないと出来ないわよね。」 「ああ、そうだね。これは跡をワザと狙って出来るような傷じゃないよ。ほら、よく見てみて。ここの特に強く踏み込みを行ったところ。中央のここと、ここと、あそこと、あそこと、そして、あそこ。まるで、教則のステップ位置を記した様にしっかりと窪(くぼ)んでいるよね。僕は、十年もの間、これを探し続けていたんだ。」  よく、心の目で見ていた、勝手に身体が動いたなど、伝説となった人の仕業について語られることがあるが、無形のものの宿命、その真実は口伝えでは判らない。ホセと尚子の舞踏演奏もそうである。しかし、明らかに神業と言われたことを実感できる証(あかし)がそこにあったのだ。 「信じられないです。本当にそんなことが出来るようになるの?、私も尚正さんに教わって踊るようになったから、少し分かるようになったと思うわ。フラメンコって、踊りの形があるようで、無いわよね。その時の自分の感覚に任されているところが、すごく大きいのよね。同じ曲調でも難しいのに、尚正さんのお母様の踊りは、様々なフラメンコの曲種であっても、対応した踊り、サパティアードの動きにブレが無いということなの?、そんなことって本当に出来るのかしら?」 「僕も出来ないんじゃないかと思うよ。しかし、そういうことなんだろうね。まったく同じ曲を、何回もやるようなことはないよ。けれども、この舞踏場の空間では、様々な曲の中で繰り広げる演舞が、この窪んだ位置で強くサバティアートしているんだよ。」  また尚正は、それだけで黙って見つめていたのではない。 『これは、父さんの繰り出すリズムと奏でる旋律から生まれた、緻密に計算された間合いの結果だ。母さんの変幻自在の舞踏表現を導いている源(みなもと)がそこにある。このサパティアードの軌跡は、父さんの感性だ。母さんが僕に伝えようとしているもの、ずっと僕が確かめたかったものがこれなんだ。』  尚正は、今まで人の言葉や話でしか知らなかった父の才能を、痕跡(こんせき)とはいえ、ついに目にすることができたのだ。その瞬間に、身震いするほどの興奮で気持ちが沸き返っていた。 「尚正さん、やっぱり母屋の方を見たくなりませんか?」 「もちろん!、藍子ちゃんもそう思うかい?」  2人は、南側の陽射しの入る1階のテラスにある窓辺を開けて屋内に入ろうと決めた。  此処にも何枚もの封印の板が打ち付けてあったが、決意した者達にとっては躊躇(ちゅうちょ)させるような気持ちはもう消え去っていた。 「なにか、空き巣泥棒みたいね。」 「ああ、でも僕ん家だよ。」 「ふふふ、そうなのよね。」 「こんなことだったら、釘抜きなんかを持って来ればよかった。ちょっとでも隙間をつくれば、棒切れで板を浮かすことができるんだけどね。」 # ギシ ギシギシ・・・  もう手間で1時間はかかったであろうか、外す要領を得た頃には、昼下がりも過ぎていた。隙間に挟める棒切れも、2度使えば折れてしまう。藍子は、茂みに手ごろなものが落ちていないか辺りを根気よく探し回っている。  しかし、ひたむきさは、必ず実りを迎える。そうして最後の一枚に取り掛かっていた。 # ギシギシギシ・・・ 「もう少しですね、これだけ拾って来ました。」 「あと、あともうちょっとだ。この一枚を外せば中に入れるね。そう思えば、地道な手作業も不思議と辛さを感じないっと、こうして今までの様に板をひねってやれば・・・。」 # ギシギシギシ・・・ギュル  釘が抜ける音をたてて板が外れた。  これからの探検に意気が込みが湧くというものである。全ての板を取り外し、雨戸を開こうとした。 # ガシ ガシガシ 「あれ、あれ、あれ。」 「どうしたの?」 「本当に僕らは登場人物達になったようだね。冒険小説の醍醐味は、そう簡単には先に進めないことかな。」 「うふふ、そうみたいね。」  それでも全く慌てた素振りが無い尚正。生まれ持った性格なのかもしれないが、瑞江達も感心している落ち着きがここでも現れている。 # ガク ガク ガク 「何で開かないのかな、この雨戸、内側に鍵があるんだろうか。」 # ガク ガク ガク 「あっ、開きそうだ。」 # ガク ガク ガク 「本当に開きそうだわ。」 「ああ、何かにちょっと引っかかってただけかな。」 # クククク・・・  尚正は、深緑の塗装も剥(は)げかかったルーバーの雨戸をゆっくりと手前に開いた。
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