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驚きの連続
すると、数か所の格子の硝子(がらす)が破損している窓が見えた。都合良く鍵の脇の格子が割れている。
# カリッ カリッ
怪我をしないように、そこの割れ残った硝子を丁寧に取り除き、そっと手を突っ込んで内鍵を外す。
# キキキキーーー
窓が開かれると、冒険への入り口が現れた。
# ○○○~・・・
『あら???・・・ 』
藍子は、何かが見えたような感じがした。
その家が、まるで眠りから目覚めた生き物の様に、長い間留まっていた空気を吐き出し、新たな空気を吸い込んだように見えたのだ。それは何の根拠も無いのであるが、封印されていた過去の出来事が、尚正の身体を一瞬にして、次々に駆け抜けて行ったのではないかと思ってしまった。
「あ、あれ、は?・・・」
「藍子ちゃん、何か言ったかい?」
「・・何でもないわ、どう?、中はどんな様子なの?」
「ほら、来て、見てみなよ、その方が話は早いからね。」
近付いて中の様子を見ると、尚正が説明しなかった意味が分かった。
『わあ~!』
見たことのない西洋式の内装。
背の高い白い漆喰(しっくい)の天井とスタッコ仕上げの内壁。オレンジ色の大型のタイルが張られた叩きの床。シンプルな造りであるがマホガニー製のダイニングテーブルと椅子。その横に美しい意匠が施された棚に白い洋食器が並べられている。部屋の出入口に白いカマチ戸が見える。日光の反射を活かし、部屋全体を明るく映えさせる装いとなっていた。かなり埃(ほこり)を被ってはいたが、今でも十分に使える食卓である。
「少しも荒らされていないよね。何だか、母さん達が、あの入口から出て来るんじゃないかって思っているんだよ。」
「本当、綺麗に残っているわ・・笑い声が聞こえて来そう、でも、その中に尚正さんもいるのよ。」
「アハハ、そうか、なんか変な気分だね。」
『さっき私が感じたのは、このことだったのかも・・・』
藍子は、口には出さなかったが、窓を開けた時にすり抜けていった不思議な息づかいのことを思い返していた。
「2階に上がる階段の手摺りも白くて、素敵だわ。」
「取り合えず僕が先に入って、安全かどうか確認するから待ってて。」
尚正は、窓枠にささくれがないか細かく確かめる。
そして安全であることが分かると、両手で枠を握ると跳び上がり、枠の上に両足を乗せ、同時に右手で縦枠を掴んだ。
「また懐中電灯をくれる?」
離れに入る時と同様に、電灯で足下を照らし場所を確認して、腰を屈めたまま降りた。
# トン
そして、室内をひと回りすると、今度はダイニングにある椅子を一脚持って来た。
「跳び上がって、降りるのは、やっぱり危ないよ。この椅子を踏み台にしよう。」
「そうだわね、ありがとう。」
藍子に渡した椅子は、窓の外側に、別の椅子を内側に置いた。これで容易に出入りが出来るようになった。
「お・じゃ・ま・します。」
「アハハ、どうぞどうぞ、でも挨拶は要らないかもね。」
「えへへ、やっぱりそうだよね。」
# コト コト
屋内に入った瞬間、藍子も気持ちが落ち着かなくなってきた。これからどうなるのか、何が見つかるのか、という緊張感、いや期待感である。
「僕は、2階に上がってみようかと思うんだけど、藍子ちゃんついてくるかい?」
「じゃあ私、1階ではどうなっているのか回ってみるわ。台所や応接間がどんなだか見てたいから。」
「わかった、多分危険なことはないと思うけど、何かあったら声をかけてくれる?」
「分かったわ、尚正さんもよ。」
尚正は、踏みしろを一つ一つ確認しながら白いらせん状の階段をゆっくりと上がって行く。
# ヒタ ヒタ ヒタ・・・
そして、藍子の視界からなくなった。
『あっ・・なおまさ・さん。』
暗い室内で独りになると、誰しも突然に不安感が湧いてくるものである。この時、今まで感じていなかった怖いという心細い感覚が込上げてきた。目の前にある白い出入口の扉が不気味に見えてしまう。当然何も居るはずもないのであるが、開けたとたんに何かが襲って来るのではないかと妄想してしまう。
『やっぱり、一緒に行けば良かった。』
そう後悔している時にであった。
# ゴトッ!
天井から大きな音がした。
「どっ、どうかしました?、何か落としましたか?、尚正さんなの?」
一瞬、時間が止まったように静かになった。すると、階段の方から尚正の声が聞こえてきた。
「藍子ちゃん、何か言った?、懐中電灯だけだとやっぱり足元が不安だね。うっかりつまずいちゃったよ。そっちは、何か面白いものとかあったかな?」
「あっ、いえまだ何も。」
「そうか、一通り見終わったら降りて来るから無理しなくて良いよ。」
声が聞こえると、緊張感が和らいでいるのが分かった。
藍子は、自分が恋していることは気づいていたが、この時、舞踏演奏の時以外でも尚正を精神的に頼りにしていたことを知ったのである。それは、夢中になっている今までから、いつの間にか、安らぎを感じているようになっていたのである。
『そうよね、これは、怪談じゃない、冒険の物語。こんな弱虫じゃ話にならないわね。』
そう思いながら、あの怖がっていた白いドアの取っ手を引いていた。
# キュウ
『まあ。』
台所が見えて、そして思いもよらない装備であった。戦前のものとは思えない、いや、現在の一般家庭の台所にも無い近代的な機器が設置されていたのだ。
美しい乳白色のタイルに敷き詰められている釜戸(かまど)。瓦斯(れんが)のコンロの下にはオーブンがあり、ホーロウの扉が付いていた。更にその横には、焼き物のグリルがある。上部にはフード付の換気扇がダクトで伸びていた。調理台の天板はステンレス製。それも壁際と台所中央の2か所にあり、食器洗浄のシンクがどちらにもついている。
『凄いわ、うちの厨房より立派なものが揃っている。これでどんな料理を作っていたのかしらね。いつもお客様を招いていたのかな。』
戦後十年以上経ったとはいえ、想像もつかない光景を目にしたお陰で、怖い気持ちはとうに何処かに行ってしまった。
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