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悟らされた一枚
# カサッ
『・・・何かしら?』
尚正は、受け取ったギターを傍の外壁に立て掛け、藍子に呼び掛ける。
「ほら、足元に気をつけて。」
藍子は、椅子に足をかけ、窓枠に手をかけて腰を上げようとした。しかし、なぜか途中で止めてしまった。
「どうかした?、どこか痛いところでもあるのかい?」
「いえ、そうじゃないんだけど。」
そう言って体を反転させると、少し屈み込んで辺りを眺めてだした。
「・・・・」
何か落としたのか、でも、尚正にはそれらしき物は無さそうに見える。
「あっ、あった、ちょっと待ってて。」
そう言って、また、室内に降りた。そして、ゆっくりと近寄っていく。
# ヒタ・・ヒタ・・・
そうすると、尚正にも藍子が見ている先が分かった。
落ちていたのは、一枚の紙。白い表面で、日が当たっても、影になっても見えなくなってしまう。藍子は、そっと紙の端を親指と中指で浮かし、少しずらしながらめくって見る。すると、その状態から何も言わず動かなくなった。
「・・・・」
「どうしたの?、その紙に何か書いてあるのかい?」
やがて藍子は、その紙を両手で包むように拾いあげて、窓の傍に戻って来た。
# ヒタヒタヒタ・・・
少し顔が紅潮しているようだ。
「もう目にした時、息が止まってしまったわ。こんなに素敵な方を見たことがある?、この方が、お母様よね。」
窓越しに腕を伸ばして、両手のひらを広げる。
その紙が尚正の前に差し出された。
『!! 』
目にしたとたん尚正も息をのんだ。頭の中をその紙にある画像が鋭く貫いたのだ。
波打際を背景にバイレする尚子の姿だった。
『後ろ向きで一部見える人影は、父さんだろうか?』
凛(りん)として圧倒的な迫力が伝わって来る。舞踏の一場面を切り取った画像にもかかわらず、今ここで見ているような躍動感が伝わってくる。
『こんな母さんは見たことが無いよ。なんて活き活きとして、力強い様子だ。まるで何かを達成したような充実感に溢れている。これが母さんの求めていたものなんだ。この姿に映し出されているようだ・・・やはり僕が見る幻影は、悲しみの姿だった。これこそが、母さんの本来の姿なんだ。僕は、ハッキリと分かった。この母さんを創り、支え続けた父さんだ。この後ろ姿の巨人を追わなければ、ダメなんだ。』
# ザクザクザク・・・サクサク・・・
薄暗くなった林の中を歩いている間、尚正は何も言わず入って来た西の方角に向かって坦々と歩いている。
# ザクザクザク・・・サクサク・・・
推し量ることは出来ないが、あの写真を見た時からまた苦悩の淵に陥ってしまった様子なのだ。藍子は心配でいっぱいだったが、ただ後をついて行くしか出来なかった。
ウマのあった舗装した車道から少し位置はズレてしまったが、何とか防風林に沿って伸びる道に出ることが出来た。聞こえていた鐘の音はとうに聞こえなくなり、夕焼けに舞っていたカラスもいなくなっていた。ようやく元気を取り戻したのか、尚正は顔が上がり少し足速になった。
「藍子ちゃん、大丈夫だと思うけど少し急ごうか?」
「そうね。」
日が暮れて赤黒く染まった夕空。
辺りは更に薄暗い闇が深く沈みかけて、広々とした畑に全く人影はなかった。幻想的な風景である。2人は叙情的な絵画の中に迷い込んだよう。
# ザクザクザク・・・サクサク・・・
やがて昼間に訪ねた農家が見えてきた。一日の農作業を終え、夕食の支度だろうか。炊事場と思われる所からほのかな煙と女性の人影がちらつく。団欒(だんらん)という日常の営み。家族との生活の温かさは、歳を取っても忘れることのない郷愁的な記憶となる。
「寒くなってきたね。」
「少し感じるけど、歩いていれば身体が暖かいから大丈夫よ。」
停留所に向かって畑の中を突っ切っていく2人。
すっかりと日が暮れて、宵の口とはいえ周りの様子も見えづらくなっていく。当然辺りには街灯など無い。幸い月明かりに照らされている遠くの景色と日没の位置を頼りに、往路の記憶をたどり、方角を確認しながら歩いて行く。それでも再び歩く場所は意外と時間がかからないものである。30分程歩いたところで停留所の時刻掲示、丸い頭の鉄柱の看板が遠くに見えてくる。
「見えてきたね、バス停。」
するとそこにちょうど、1台の路線バスがやって来るのが見える。
「あれ、あれ、あのバスは、まさか・・・。」
「いいえ、最終バスはまだ早過ぎるわよ。遅れてるけど、その前の便だわね。最終バスの時間までは、あと1時間はあるはずよ。」
停留所まで半キロ程手前に近付いた時、そのバスは折り返して発っていった。
# ブルルルルル・・・
そしてようやく停留所に到着した。
電柱に付けられた裸電球の街灯がぼんやりと辺りを照らし、その明かりを狙って、虫達が飛び回っている。笠だけのお粗末な物だが、この明かりがなかったら見失っていたかもしれない。かなり吹きつけていた浜風はすでに緩んで、その代わりに気温が下がってきているようだ。南にある地域とはいえ、昼夜の温度の変化に秋の深まりを感じる。
「すっかり暗くなっちゃったね。」
「ごめん、僕が時間を忘れて探索に夢中になったのがいけなかった。」
「ううん、私の方こそそうだったんだから、面白いものがいっぱいあったからね。」
「へえ、下はどんな感じだったんだい?」
「まず、あの白いドアを開けると台所へ行ったのよ。そこはレストランの厨房みたいに立派な調理設備があったわ。調理台が2つもあってね、瓦斯のコンロ、オーブン、グリルの焼き場まであるのよ。そこに上からフードの付いた換気扇があって、まるで本当の料理人の場所。とても家庭の台所じゃないわ。」
「へえ、母さんが調理師だなんで聞いたこともないし、誰か専門の人が入ってたのかな。それに、あの吹き抜けの応接間の広さからして、よく来客があったのかな。」
「きっとそうだわ。欧米の人達は、親類や友人と普段からよく集まって交流を深める習慣があるって聞いたことがあるし、お父様はスペインの方だし、お仲間の人達を招いてたんじゃないかしら。」
「そうかあ、賑やかで楽しいのかもしれないな、でもなんか面倒くさそうだな。」
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