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物怖じしない人
「私達の国は、そんな日頃の生活習慣は無いわよね。みんなで集まるって、お盆や正月の時くらいよね。礼儀を重んじることは、相手に敬意を払う良いことだと思うけど、逆によそ様に簡単に伺うのは迷惑をかけると思いよそよそしくもなりがちよね。」
「いや、そんな深い意味で言ったんじゃないんだよ。そんなしょっちゅう人をもてなすって、用意したり、後片付けするのが面倒じゃないのかなって。」
「多分、それも皆でやるんじゃないの。そりゃ誰だってお客さんが良いわよ。ほら、年の暮れにお餅つきやるじゃない。近隣縁者が集まって、女達が炊事場で男達が餅つきやって、終わったら皆で一年を労って宴会になって、そして片付けも皆でやるわよね。」
「あ~あんな感じか。そうか、考えてみればこの国も同じ様なことあるね。でも、しょっちゅうやってるわけじゃないからね。」
「ご両親には、特別に親密な人達がいたんじゃないのかな。例えば、事務所や楽団の方達の中に。」
「藍子ちゃん、鋭いね。海堂さんは、母さんに相当入れ込んでいたみたいだよ。」
「そのことを八木巻さんから聞いたわ。フラメンコでの世界進出を信じて、運命を共にすることが出来ると思われていたんだそうよね。」
「ああ、多分、父さん母さんに希望を託した人達が、此処に良く遊びに来ていたのかもしれないね。」
「それを思うと本当にワクワクしてくるわね。」
そんな話で時間が過ぎて。
しかししばらくすると、やはり寒さが次第に身に染みてきたように感じる。
「なんか、もう来ても良い頃じゃないかな。」
「そうよねえ、もう1時間は経ったと思うけど・・おかしいわ・・・でも、ちゃんと時間を確認したから・・・。」
それから更に30分程過ぎた。
さすがに、不安感が頭によぎるようになってくる。藍子は、もう一度確かめるように、時効表を覗き込んでいた。
「あ~!」
「ど、どうしたんだい?」
「いけない、まずいことが分かったわ。」
尚正も、藍子の言葉につられて、時刻表を目を凝らして見ていると。
「ほら、最終時刻の時間に印が付いているじゃない。何だろうなって、思ったのよ、下の欄外を見てみて。」
欄外の記述を読んでみると、その印が‘夏季のみ’と書いてあった。
バス通りの砂利道。ほのかに電灯の明かりで照らされている先は、夜の闇に続いていた。藍子は、呆然と時刻表に目をやっている。この後のことを頭の中で描くことが出来ない状態になっているのである。
『夜通しこの道を最寄りの駅まで歩いて行くなんて、考えられないわ。』
すると・・・。
「仕方ない、藍子ちゃん戻ろうか。」
尚正が、そう言葉をかけながら、平然とした様子で笑顔を見せた。そして再びギターを持って、懐中電灯で先を照らしながら畑の道に入って行く。
『えっ?、何処へ?』
# ザクザクザク・・・サクサク・・・
「戻ろうかって・・・夜の暗闇じゃあの家は見つけられないわよ。」
「足元に気をつけて来るんだよ。」
そう言っても、尚正は落ち着き払っている。
藍子は、仕方ないかと受け入れ、後に続いた。
# リンリンリン チチチチチ・・・
秋夜の畑の中は、静寂ではない。2人はあらゆる虫達のざわめきの真っ只中(まっただなか)。
それは、あとふた月もすると到来する氷節までに、尽きてしまう自己の命を誇示する為なのか、あるいは、その死後の再生を期待する為なのか。そんな小難しい理由など、人の勝手な美化した妄想なのだろう。とにかく、総てが自然の営みとして繰り返されている。
電灯の光に反応して、様々な生き物が飛び寄って来る。それでも尚正は、相変わらず坦々と辿って来た畑道を歩いている。藍子は、尚正の自信がいったい何処に在るのか全く想像もつかなかったが、確実なあてがあって歩いているからだと信じるしかなかった。
# ザクザク・・・ サクサク・・・
やがて1時間足らずのところで、再びあの農家が見えてきた。
「さあ着いたよ、お疲れさん、ここに一晩泊ることにしよう。」
「えっ?・・・大丈夫なの?」
「さあ、分からないけど頼んでみて、駄目だったら他の家を探してみるさ。聞けばご近所さんを教えてくれるよ。田舎の人は優しいから、きっと大丈夫だよ。僕には、これしか思いつかなかったよ。」
判断してから実行へ移す過程が、水の流れの様に戸惑いもなく自然に行動出来る。全く物怖じ(ものおじ)しない尚正にすっかり感心していた。
田舎の家とは、防犯という感覚は無いのか。開けっ放しの玄関先に立ち止まると、奥の障子の引き戸から温かな明かりが土間にほのかに漏れている。団欒の雰囲気が漂って来ている。
それでも、藍子は緊張感でいっぱいになっていた。
「それじゃあ行ってくるから、荷物を見ててくれる?」
そう言って、さっさと敷居を跨いで入って、奥の土間に向かって行った。
『本当に大丈夫かしら?、突然来て、泊めてくれって言われても、無理なんじゃないかしら?』
まるで親戚の家に立ち寄ったと思うほど、なぜか慣れ親しい様子なのである。
”○○○○・・・ ○○○○・・・”
すると、尚正が奥の障子の引き戸を通れるほどに開けて中へ入って行った。
『あら?、どうして?』
藍子には理解できないが、とにかく話が進んでいるようである。
”○○○○・・・ ○○○○・・・”
そして、その後。
「そりゃあ、さんざんだったなあ。ほら、彼氏はこんなにくつろいでいるんだから、あんたも足崩して、崩して。」
「本当にだよ。親戚に遊びに来たつもりでいてちょうだい。都会のようなご馳走は無いけどね、うちの畑で取れた野菜の煮物、良かったら食べて頂戴ね。」
尚正達は、奥の座敷に通されて、温かいもてなしを受けていた。
「突然お邪魔してすみません。泊めてもらえるだけででなく、こんな心温かい食事まで作ってもらってもったいないです。必ず日を改めて、お礼に来ます。ほら、藍子ちゃんも、ほら。」
「あっ、はい、誠にありがとう存じます、このご恩は一生忘れません。」
「えっ?、今何て言ったんだい?」
「アハハハ、随分、他人行儀(たにんぎょうぎ)だねえ。」
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