0人が本棚に入れています
本棚に追加
故郷の言葉
「すみません。」
「ちょっと大袈裟だったかもね、でも、気持ちは分かってやってくれませんか。」
「ハハハ、ああ、良く分かっているよ。彼女、可愛らしいところがあって良いね。若い人達は羨ましいね。」
「ホ~ント、うちの人なんか、若い頃に私をかばってくれるなんて無かったわよ。」
「そうなんですか?」
「当たり前だ、人前で女房にいちゃいちゃなんかしてたら呆れられたからな。」
「じゃあ今なら良いんじゃないの。」
「ばか、もうそんな歳でもないだろう。」
「そんなこと無いわよ。いくつになっても好きな人から優しい言葉をかけて欲しいものだよ、ねえ、藍子さん。」
「ええ、はあ。私、何って言っていいか、でもそんな時、本当に幸福って感じがします。だから、旦那様、今からでも間に合いますよ。」
「ほらね。」
「いや、なんだ、心の中ではそう思っているから良いだろ。」
「だめだめ、そんなんじゃ伝わらないわよ。女は、確かなものを欲しがる生き物なの。どこかの歌みたいに、何も言わなくても分かるなんて無いわよ。黙って後について来いって、男が勝手に思い上がっているだけ。」
「そうなんですか。」
「やっぱりそうですよね。」
「男と女の仲ってのはな、昔から良く分からんもんだ。まあ、まあ、そんなことより、飯が冷めないうちに食いなよ。」
「そうかもしれませんね・・・それでは遠慮なくいただきます。」
「あれ、尚正さん、今のはどういう返事なの?」
「泊めてもらって落ち着いたら、急に腹が減って頭ん中がごちゃごちゃで答えちゃったんだよ。」
「え~、そうなの?、男の人って、そんな感じなのかしら。」
「そうそう、男は変に拘(こだわ)らないところが良いんだよ、お嬢さん。」
「あんたが言うことないわよ。」
“アハハハハ・・・ ハハハ・・・”
賑やかに食事が進み、そして、再び会話が始まる。
「帰りのバスが無くなって、今日はどうなるのかと思ってたからね。本当は、ここから夜通しバス通りを歩くなんて有り得ないなって思ってたんだ。」
「な~んだ、やっぱりそうだったんだ、よかった。」
「何が良かったんだい?」
「いえ、私は駄目だなって、反省していたのよ。」
「ふ~ん、反省ね。」
現代のように家庭にテレビやパソコン等の無い時代。家族の時間の過ごし方は食事を共にしながらの会話が中心であっただろう。それは、日頃の他愛ないそれぞれの出来事や体験などをざっくばらんに語り合った。それは何も難しいことではない。そこには、家族同士が普段の親密な関係を保ち、心を通わせる日常があったのだ。彩りの少ない田舎の料理であるが、その地で採れた食材で作ったもの程贅沢なものはない。その郷土豊かな味わいに、自然と会話が弾み、親しみを通わせるようになる。
「それでどうだった。あんた達の探していた家はあったのかい?」
「そうなんです、言われた通り、あの道の先を辿って行ってみると見つけたんです。人が住んでいなかったんで相当古びていましたが、立派な洋館が建っていたんですよ。」
「へえ、洋館がね、なんかおとぎ話みたいだね。」
「それで家の中に入ったりしたのかい?」
「ええ、それが出入口や窓から入れないよう全部板を打ち付けて封印してあったんですけど、そのうちの一箇所をどうにか取り外して、中に入ることが出来ました。」
「封印、そうなんだ、その家で何かあったのかね。国が管理していた土地だから、一般人に見られたくないものだったのかな。」
「思い過ごしよ、だって青年さんの住んでいたお家でしょう、そんな怪しい話なんかじゃないわよ。勝手に入られて事故でも起きたら、責任問題になるからじゃないの。」
「まあそうだろうな、それで何か懐かしいものでも見つかったかい?」
「僕が4つぐらいの頃ですから、記憶はほとんどないんです。住んでいた家のことはよく覚えていないんですよ。」
「で、ひとつ聞いても良いかな?、気に障ったら答えなくても良いけど。」
「何でしょうか?」
「あんたの家族は百姓でもない、何故こんな畑ばかりの此処に住んでいたのか知ってるのかい?」
すると、尚正は少し間を空けて、それから返事をした。
「・・・詳しくは知りませんが、戦争が始まる時の混乱を避けるため一時こちらに住んでいたそうです。そして戦争が直前になって母の故郷である九州に戻ったんです。」
「へえ、あんたは九州の人かい。こいつの親戚の中にも九州人がいるんだよ。それにしては訛り(なまり)が出て来ないね。」
「本当だね、この人が言った様に、私の従兄弟(いとこ)がS県に居るんだけどね、電話で話されても半分位しか分からないのよ。」
「俺なんか、さっぱりだよ。この前なんか、お礼を言われているんだけど全く分からなかったんで、‘そうですか’、としか返事出来なかったな。」
「何て言われたんですか?」
「うちで採れた野菜を贈ってあげたんだけどね。‘コゲヨカモバモロタケクワントトトトバイ’、だったかな?、分かる?」
「何って言ってるんでしょうか?」
「分からないよ、こいつにも聞いたけど、‘何ですかね?’、だって。」
「そりゃあ分からないわよ。」
「それは、こんな感じでしたか。」
尚正は皆に、推測した九州弁で喋ると、それが流暢(りゅうちょう)だったためか、農家の夫婦は目を丸くした。
「あ~、あ~、そうそう、そう言われたんだよ。」
「へえ、流石だね、私はちょっとだけ分かったよ。良いものを貰ったって言ってるわよね?」
「凄いですね、私もさっぱりです。」
「で、青年先生、何て言ってるんだい?」
「奥さんは、当たってますよ。‘こんなに素晴らしい贈り物を頂いたので、食べることが出来ずに保管してあるんですよ’って言ってますね。」
「いやあ、素晴らしい、やっぱり本物は違うな。」
「ん~、なんか田舎者だというのを自慢しているようで恥ずかしいですね。」
「そんなことないよ、故郷の言葉があるってのは、とっても羨ましいことよ。それに、うちも凄い田舎だよ。」
少年の頃によく泊まった今津家に来ているような感覚だった。
少し角が擦れ使い込まれている畳の座敷。障子の隙間から見える広縁(ひろえん)の板張り。部屋の中央に松竹の透かし彫りの欄間(らんま)があり、今津の座敷のものは龍虎の彫り物だったことを思い出していた。
最初のコメントを投稿しよう!