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中編
二杯目からはお互いに手酌で好きに呑もうという話になった。
そう取り決めたとおりに、男は二杯目を手酌でついだ。一口つけたあと、唐突に「近頃は平和でええなぁ」と呟いた。
――急にどうしたんです?
「いや、戦時にはこうやって酒を呑むんすらも難儀したもんや。いきなり戦闘機が飛んできたりしよったさかいな。戦後の今はこの隅田川界隈もここまで持ち直しとるが、空襲で焼け野原になったときは酒どころやなかった。改めて平和はええなと思てな」
――ああ、そういうことですか。
「なんだかんだ言うても、やっぱし平和が一番や」
――そうですね。平和が一番です。
「もう戦争は勘弁や」
頷いて同意を示した。
「気いを悪うさせたら許してや。その左腕も戦争が事情か?」
――ええ、焼夷弾にやられて失いました。
「気の毒に。片腕があらへんと不便やろ」
――不便ですけど、もう慣れました。失ったものは戻りませんから、慣れないといけないでしょうし。
「片腕をなくしたっちゅうのに、慣れたの一言で片づけるんか。君は強いんやな」
見れば、男の向こうに座っている女が、心配げな顔をこちらに向けていた。自分の左腕をさすってもおり、その行為の意味はすぐに理解した。
――左腕を失ってから何年も経ちます。もう痛くはありませんから、ご心配なく。
そう告げると、女はほっと安心したように微笑んだ。
男は少し神妙な顔をして言った。
「彼女は誰よりも他人の痛みがわかるのや。みなが彼女みたいに優しゅうなったら、争い事なんて起こらんのやろうけどな……」
それから、「まあ、とりあえず」と口調を軽くした。
「こうやって生き残ったことに乾杯」
男が顔の前に湯呑みをかかげたので、こちらも湯呑みをかかげ返した。女も男の向こうで湯呑みを小さくかかげている。
男は酒をぐいっと干してから、こちらをまじまじと見た。
「ところで、君は男か女かどっちや?」
ついで、こうも尋ねてきた。
「そもそも人間なんか?」
だが、こちらが答える前に、
「いや、君がなんであっても、酒の席ではどうでもええか」
ひとりで勝手に納得したようだった。
また屋台の周囲でガサガサと音がした。
あたりに人影はない。
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