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Another World 4 〜 side. 愛梨
side. 愛梨(another world)
――*――
それから数日後、私は退院した。
両親も、優樹も、あの日私に何があって、何に悩んでいたか、無理に聞き出すことはしなかった。
私の準備ができるまで待ってくれるつもりらしい。
ただただ普段通りに接してくれるのが、ありがたかった。
今は、優樹に車椅子を押してもらって、近所の公園をゆっくり進んでいる。
ひざ掛けのおかげで足元は寒くないが、頬をうつ風は冷たい。
小さい頃によく遊びに来た公園。あの頃は大きかった遊具が、なんだか小さく感じられて、不思議な感じだ。
優樹は、masQuerAdesの活動で忙しいはずなのに、退院後も毎日のように、家までお見舞いに来てくれた。
聞けば、今、伯爵と連絡が取れなくて、思うように活動できなくなっているのだという。
年末の大きなライブとテレビ番組で、伯爵の脱退を発表する予定で、調整しているのだそうだ。
「伯爵が、行方不明……?」
「そうなんだよ。今は病気で活動休止ってことになってるんだけどさ――そういう訳で、今は曲作りに専念中。ハロウィンのライブツアーも終わったから、次の大きい仕事まで少し時間があるんだ」
「そっか……それまでに、手がかり見つかるといいね」
masQuerAdesは、仮面と貴族服という衣装の関係で、ハロウィンの時期が一番忙しい。
私が修二と朋子に追い詰められて短絡的な行動を取ってしまったのは、ハロウィンの当日……masQuerAdesのライブツアー最終日だった。
「なあ、愛梨は夢の世界で伯爵にも会ったのか? 俺たち、誰一人、伯爵の素性を知らないんだよ」
「え? 素性を知らない?」
私は驚いて、振り返って優樹の方を見上げる。
もう一人の私の人生では、masQuerAdesはメンバー同士の信頼や絆を大切にしていたから、少し意外だ。
優樹は困ったような表情で頷き、続けた。
「マネージャーの玄野さんが、ある日突然連れてきてさ――ああ、そういえば、玄野さん妙なこと言ってたな。こっちの伯爵が目を覚ますまで、あと二日とかなんとか。えーと、何日前だったかな……」
「――こっちの、伯爵?」
どくん。
私の心臓は、大きく鼓動を鳴らした。
「ああ。よく分かんないだろ? 俺が、具合でも悪いのかって聞いたら、『眠り姫は、王子様のキスで目覚める』って」
「それって……」
もしかして、もしかしなくても。
鼓動が、どんどん早くなっていく。
「玄野さんともあれから連絡取れないし。どうなってるやら」
「――ねえ、優樹。もしかして」
「ん?」
「もしかして、その話をしたの、私が目覚める二日前、だったりしない……?」
「あー……ちょっと待って」
優樹は、誰もいない広場の中心で、足を止めた。
今は、子供たちもお昼寝の時間なのか、小さな公園には誰もいない。
少しだけ枯れ葉を残した木々が、カサカサと揺れる。
優樹は顎に手を当てたり、首を捻ったり、ひとしきり考えてから、答えを出した。
「あー、うん。そうかも……そうだよ! 玄野さんに言われて朝からずっと気になってたけど、愛梨のお母さんから連絡もらって全部吹っ飛んだんだった」
「……あのね、優樹」
「ん?」
心臓が、口から出てしまいそうだ。
変に思われたらどうしよう。嫌われたらどうしよう。
もう一人の私の人生以上に、信じられない話だと思う。
いくら体験したこととはいえ、自分でもまだ、信じられないんだから。
――でも、話さなきゃ。
「私……、私ね」
私の雰囲気が真剣なものに変わったことに気付いたのか、優樹は私の正面に回り、しゃがんで視線を合わせてくれた。
私をじっと見つめるやさしい瞳には、不安そうな色が見え隠れしている。
「――私、伯爵かもしれない」
「…………へ?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まってしまった優樹に、もう一人の私が、もう一つの世界で伯爵だったことを告げる。
そして、公爵が手の甲にキスをしてくれて、私の目が開いたこと、その視線の先に優樹がいたこと。赤い糸のことは恥ずかしいから言わなかったけれど、優樹が私を夢の世界から引っ張り上げてくれたことも。
「まさかそんな……」
「その玄野さん、不思議な人だね。神様……とかだったりしてね」
神様でなければ、予言者とか。
なんて、そんな訳ないか……本当のところは、占い師とか、そんな感じだろうか?
「優樹、『今宵はマスカレード』、歌って?」
「え、でも」
「バレると困るもんね。でも、今なら誰もいないし、大丈夫――小さな声でいいから」
「……わかった。誰か来たらやめるぞ」
そして、優樹は、息を吸った。
小さく、私の大好きな曲を、大好きな声で、口ずさむ。
――さあ、仮面舞踏会がはじまる
百鬼夜行、花の輪舞――
ああ、やっぱり公爵だ。好き……。
ここからは、伯爵のハモりパートだ。
――踊ろう、星の夜を
踊ろう、月が消えるまで――
私が優樹の声に合わせてコーラスを入れると、優樹は目をまん丸にした。
音が、声が、息が交じり合う。溶け合っていく。
――今宵だけは、身分を忘れて――
公爵と二人で手を取り踊っているように。
二人でひとつの世界に、彩りを重ねていく。
最後の一音が、名残惜しく消えてゆくまで。
私たちは、時間も忘れて、ただ、無言で見つめ合っていた。
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