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Crossing World 〜交差する世界
side. 愛梨(本編)
――*――
私が伯爵として、masQuerAdesに仮加入を経て正式加入し、表舞台に立つようになってから、約三か月。
私は、昨日まで、約一週間のあいだ、深い眠りに落ちていた。
原因は不明。
身体にも、脳や内臓にも、何の異常もないのに、ただ眠り続けていたらしい。
*
眠っている間、私は、自分が本来辿るはずだった世界を見ていた。
masQuerAdesがある程度有名になるまでその存在を知らず、優樹とも再会していない。
けれど、成人式のパーティーで修二、朋子と再会し、修二と仲を深めた。
そして、私が絶望の果てに短絡的な行動を取ってしまうことになる――それより数ヶ月前の、ある時点。
走馬灯のように記憶が駆け抜けて行く中。
ある一時点で、突然、世界は動きを止めた。
動かない世界が、音のない記憶が、加速度によって歪んだまま、写真のように私の周りに浮かんで止まっている。
動いているのは、私だけ。
こつ、こつ。
ヒールの音が、止まった世界に無機質に響く。
私は、音のする方に顔を向ける。
闇の中から現れたのは――。
「こんにちは、愛梨さん」
かっちりとしたスーツを身に纏った、西洋風の顔立ちをした女性。
目鼻立ちも、身体付きも、メリハリがしっかりしている美人だ。
「あなたは……?」
「私は、そうね……あっちの世界では、玄野と名乗ってるわ」
「あっちの世界?」
「あなたが今見た世界のこと」
私が、本来辿るはずだった、修二に騙される世界のことだろう。
こんな場所に突然放り込まれたものの、不思議と危機感や恐怖は感じなかった。
ただ、様々な疑問が頭に渦巻く。
「ここは……一体、何ですか?」
「時空間のはざまってところね」
「あなたは……神様? 私、死んでしまったんですか?」
玄野と名乗った女性は、首を縦にも横にも振らず、目を細め口端をにいっと上げた。
「私のことは置いといて。ひとまず、死んではいないから、安心して。用が済んだらちゃんと元の世界に帰してあげる」
「用、ですか?」
「そう。あっちの世界の、あなたのためにも、ね」
「私の、ため……?」
玄野さんは、笑みを深くした。
赤く艶めくルージュが、綺麗な弧を描く。
「こちらの世界で、一週間。あちらの世界で、三ヶ月。メンバーたちに素性がバレなければ、あなたはこちらの世界に帰れる」
「もしかして――」
「そう。伯爵として、masQuerAdesに潜り込むのよ」
そう言って、玄野さんは、私の横に立つ。
彼女の見上げる先には――。
「masQuerAdesの……スタジオ?」
「大丈夫。あなたならできるわ。私もついてるから」
「あの……もし、バレてしまったら?」
「同じ世界に同じ人物は存在できない。あちらの世界は、壊れてしまうわ」
「――!」
「でも、あなたがやらなければ、こちらとあちら、両方の世界に歪みが生まれる。あなたの周りやmasQuerAdesだけじゃなく、世界が、歴史が、記憶が修正されて、変わっていく」
玄野さんは、一瞬だけ、切なそうな表情をした。
しかし、すぐにその表情はかき消して、無表情で私の方を見る。
「変わった先の世界がどうなるかは、私にも分からないわ。あなたと優樹くんが、どちらの世界でも出会わないことになってしまう可能性もある。masQuerAdesが存在しなくなる可能性もね」
「そんな……!」
なんで、こんなことになってしまったんだろう。
どうして、私がこんな役目を負うことになってしまったの?
そんな思いを込めて玄野さんを見るが、彼女は無表情のままだ。
「どうする? やるの? やらないの?」
「……やり、ます。バレなければ、いいんですよね」
「ええ。仮面を付けて、コーラス以外では声を出さず、自分を決して見せないように」
私は、決意を込めて頷いた。
玄野さんは、満足そうに微笑む。
「――玄野さん。どうして、私なんですか? どうして、masQuerAdesなんですか?」
「……私のね、大切なひとが、願ったことなの」
「大切なひと……?」
「気取り屋で軽薄に見えるけれど、本当は誰よりも強くて、孤独で……ぬくもりを求めて、今は人間の器に入っているわ。地球と同じ青い色が大好きな、あのひと」
「それって――」
「内緒よ、絶対にね。人間の器に入っている間は、神としての記憶も神格も、存在しないから」
masQuerAdesのメンバーで、少し軽薄で、青色のメンバーカラー。
私は、ギターを背負う一人の男性の姿を思い浮かべていた。
「あのひとが選んだ人生。あのひとは、人間のことを知りたかった。そして、人間たちの魂を揺さぶる何かをしてみたかったのよ。それはあのひとにとって、ひと時の休暇であり、大きな実験でもあるの」
神様が、人間を試している、ということだろうか。
魂を揺さぶる何か――それで選んだのが、音楽だったんだ。
「あのひとは特別綺麗な魂をいくつか選んで、それらの魂にそれぞれ絆を結んでから、世界へ降りていったわ。でも、この世界と、あっちの世界、その二つの世界だけは、あなたは他の魂との接点を失ってしまっていた――間に悪意が入り込んだせいで」
「悪意……」
「その悪意は、どの世界でも、あのひとが排除していたわ。けれど、この二つの世界では、排除が遅れてしまったのね。だから、私が介入したの。全ての世界で、あのひとの望みを叶えてあげるために。あのひとの全ての欠片が満足して、無事にこちらに戻ってきてくれるように」
玄野さんの話は、私の理解を超えていた。
けれど、ひとつだけ確実なことがある。それは――。
「玄野さんも、大切なひとのために、頑張ったんですね。リスクを背負ってでも、大切なひとの力になりたかったんですね」
「――ふふ。神失格かしら」
「……どうでしょうね。でも、私は、好きですよ」
「まあ――ありがとう」
神様が、世界をどうしようが、人間にとやかくいうことなんてできない。
けれど、恋する乙女のように、照れ笑いをする玄野さんに、私は好感を持った。
「さあ、じゃあそろそろ行きましょうか」
「はい」
「あなたは、伯爵。仮面をつけて、ドレスを着るのよ」
玄野さんが指を鳴らすと、私は一瞬でドレス姿に変わった。
黒地に金とピンクの差し色が入った、豪華なドレス。
手には黒いレースのグローブ、その上に乗る、伯爵の仮面。
「仮面をつけたら、扉を開くわ」
私は、頷いて仮面を装着する。
「あちらの世界で、零時を過ぎたら、魔法は解ける。それまで、あなたは素性を隠したお姫様。代えのきかないガラスの靴が、お姫様と王子様の、秘密の合図よ」
そうして、扉は開かれた。
世界が、交わる――。
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