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Another World 5 〜 side. 優樹
side. 優樹(another world)
――*――
交じり合うハーモニー。
通い合う、魂の旋律。
これだ。俺が求めていた音楽。探していた声。
俺の知っている伯爵よりも、ずっと、しっくりくる。
「愛梨――」
俺は、静寂の中、声を発した。
「――きみは、伯爵じゃない」
俺は、はっきりとそう告げた。
愛梨の目が、まん丸に見開かれる。
その顔が、悲しみと動揺で歪み始めて、俺は言葉が足りなかったことに気が付いた。
「でも」
俺は慌てて、補足する。
「一緒にmasQuerAdesをやるなら、俺の知ってる伯爵より、きみがいい」
「……え……」
「愛梨の声は、確かに、伯爵そのもの。息継ぎの癖も、高音に向かうにつれて伸びやかになっていく所も、全部、まるっきり同じだ。けど……もっと、深いところが、違う。多分、俺にしか――他のメンバーにも、分からないと思う」
「どういう、こと?」
「俺の知ってる伯爵には、どこか、よそよそしさがあったんだ。自分を押し殺しているような……苦しそうな、寂しそうな」
今なら、分かる。
伯爵は、俺じゃない俺を見て、自分じゃない自分を明かせなくて、苦しかったんだ。寂しかったんだ。
あれは、別の世界の愛梨だったんだ。
別の俺と恋をしていた、別の愛梨。
だから、妙に気になったんだ。他人じゃないような、そんな感じがずっとしていた。
伯爵が雑談にも加わらず、演奏の時以外はあちらが意図的に関わりを絶っていたから、恋は生まれなかったけど。
「伯爵は、帰っていったんだな。もう一人の俺がいる世界に」
愛梨は、複雑な表情で、俺を見ている。
そんな表情すら愛らしいと思ってしまうんだから、俺も大概だ。
「愛梨。改めて、頼むよ。伯爵として、masQuerAdesに加入してくれないか」
「……いいの?」
「ああ、もちろん。ただし――」
愛梨は、ごくりと喉を鳴らす。
俺はふっと笑って、愛梨の前に手を差し出した。
「今度は、素顔の愛梨を、みんなに見せてやってくれ」
「――! うん!」
愛梨は、花のように笑って、俺の手にそっとその手を重ねた。
少し冷たくなっている指先を温めるように、俺はその手をもう片方の手で包み込む。
ベッドの上で握った愛梨の手と違って、その小さな手は、俺の手をきゅっと握り返してくれる。
俺が目を細めて見つめると、頬が薔薇色に染まっていく。
まるで冬に咲く、一輪の花のようだ。
「……優樹。あの、ね」
「ん?」
愛梨の声は、少し震えていた。
その目に、緊張の色が宿って、俺は愛梨が何を言おうとしているのか、悟る。
「この間の、答え……言ってもいい?」
「――うん」
――『今からまた、始めることはできる? ここにいる、俺と』。
以前、俺が言った言葉。あの時聞けなかった、答え。
俺は、愛梨の手をそっと離して、続く言葉をじっと待つ。
愛梨は、息を吸い込む。
小さく、けれど、はっきりと。
愛梨は、言葉を紡いだ。
「あのね……今から、始めたいの。――優樹との、恋」
「愛梨……!」
俺は、愛梨を、車椅子ごと包むように、抱きしめた。
愛梨の怪我が完治していなくて、思いっきり抱きしめられないのがもどかしい。
彼女は、おずおずと俺の背中に手を回してくれる。
幸せが、身体を、心を、魂を、駆け巡っていく。
「優樹……好きだよ」
「……愛梨……俺も。誰よりも、愛梨のことが好き」
少し身体を離すと、至近距離で、目と目が合う。
そして。
吸い込まれるように、俺と愛梨の唇が、重なった。
「これから、たくさん思い出を作ろう。向こうの俺たちに負けないぐらい」
「うん」
「それに、たくさん、恋の歌を書くよ。今までは、切ない曲ばかり書いてきたけど……今なら、希望がたくさんある曲を書けそう」
「――うん」
身分を隠して、結ばれないはずの者同士が踊る仮面舞踏会。
思えば、それも、俺の願望だったのかもしれない。
そうでもしなきゃ、本心を隠せなかったから。
曲の中だけでも、愛しい人と、思い出と、踊っていたかったから。
これからはもう、仮面がある時も、ない時も、ずっと一緒だ。
けれど、これからも俺たちに仮面は必要だ。
きみの可愛い表情を、薔薇色の頬を、俺以外の人間から隠すために。
五年越しに実った、あまりにも深い俺の想いを、きみ以外の人間から隠すために。
そして今度は、masQuerAdesのファンのために、新しい仮面舞踏会を開こう。
誰かと誰かを結びつける力が、音楽にはあると、信じているから――。
Another World ――fin.
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次回、最終話です。
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